徒然なるままに 12. 滋彦のトラブル | 市川内科医院のブログ│実験室

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徒然なるままに 12. 滋彦のトラブル

2023年5月19日

私以上に山が好きな滋彦ですが、これまでに様々なトラブルに見舞われてきました。彼の許可を得て書きます。

1. 岩菅山で遭難:1,996年4月30日 滋彦は22歳で、志賀高原一の瀬のシャレー志賀でアルバイトをしていた。夕方の7時半、シャレーの郁男さんから電話が入った。「滋彦君が午後、岩菅山へスキーで登ると言って出掛けたまま、この時間になってもまだ帰ってこない」と言う。私は取るものもとりあえずシャレーに向かった。郁男さんの要請で、志賀高原遭難対策協議会の捜索隊が夜間にも拘らず出てくれた。PM10時、捜索隊は登り口の聖平周辺を探してくれたが手掛かりがないまま、翌日のAM1時に捜索を終えた。ただ、岩菅山に向かって真っすぐスキーのシュプールが伸びている、との報告があった。朝の天気次第では、松本の自衛隊のヘリコプターが飛ぶかも知れないと。しかし、この時間帯から山は雨が降り始めていた。

5月1日 明け方から大雨になった。ヘリコプターは飛ばないことになった。AM7時 大掛かりな捜索が行われた。捜索隊は3班に分かれ、A班は聖平を中心に岩菅山の麓周辺を捜索、B 班は聖平から滋彦のシュプールを辿って岩菅山山頂方向を、そして C 班は寺子屋山から稜線沿いにノッキリを経て岩菅山頂を目指すという。シャレー志賀に無線基地局が置かれ、町役場の職員がオペレーターを務めた。私はそこに詰めて、報告を待った。朝方は手掛かりになるような報告がなかった。雨は相変わらず強かった。AM11時、C班から、「遭難者らしい人の声が聞こえる」と報告があり、11時50分 「接触した」との報告があった。後になって、遭難場所はハシゴ沢上部と判明した。「右下腿を骨折しているので、歩行できない。びしょ濡れだが、意識はしっかりしている。スノーボートを上げてくれ」 A 班がスノーボートを持って現地に急行した。午後4時、聖平に待機していた雪上車に乗せられて一の瀬に到着し、救急車で病院に向かった。整形外科に入院し、右脛骨、腓骨を骨折していた。明日脛骨にキュンチャー髄内釘挿入を行うことになった。 以下、滋彦の話

30日は、裏にシールを付けた山スキーで登った。通いなれた道で、難なく山頂に着いた。登ったところを下るコースはブッシュが多くて滑りづらいので、山頂の南斜面をハシゴ沢上部に下り、沢に入ったら右岸の滑り易いコースを下るつもりだった。ハシゴ沢に下りつく直前、斜度が変わったところで足を取られ転倒した。どうって言う所でもなかったので、起き上がって滑ろうとしたが、どういう訳がスキーが全くコントロールできない。右足が全く効かない。右スキーを外して左だけで滑ろうとしたが、やはりできない。それでは、と両足のスキーを外して、這って下ろうとしたがそれもだめだった。救助隊を待つことにして、近くのオオシラビソの木まで這って行って、木の下の浅い窪みに身を寄せた。夜中に雨が降り始め、だんだん強くなり、朝方は土砂降りになった。寒さが厳しく震えが止まらなかったが、何とか耐えられた。もう一日放置されたら危なかったかも知れない。朝になっても雨は止まず、捜索隊も来ない。強い風も吹いていて、捜索隊が来ても気付かないかもしれない。不安を抱えて午前を過ごした。ちょっと風が弱まったので、「おーい」と叫んでみた。その時、沢を挟んだ南方から呼び返す声が聞こえた。約30分ほどして捜索隊が来て、まず聞かれたのは「ここはどこか?」だった。捜索隊は、現在地が分からず志賀高原側とは反対の魚野川側の奥ゼン沢を下っていると勘違いしていた。「暖かいお茶が欲しい」と言ったら、「本部に連絡してからにしてくれ」と言われた。本部に聞いたら父(董一郎)が、「与えてやってくれ」と言ってきた。スノーボートが到着し、ハシゴ沢を下ったが、沢の中の地形は複雑で所どころ登り返しがあって、引き手は大変だった。一の瀬について、父の顔を見てほっとした。

患(遭難)者は翌日、キュンチャー髄内釘挿入術を受け、4週間で退院した。翌年、髄内釘の抜去術を受けたが、こちらの方が大変だった。髄内釘は直径約7mmぐらいのチタンの棒である。先端から後端直前まで骨髄内に挿入されており、最後端は骨外に飛び出していて、その内空にネジが切ってある。(ナットと同じで雌ネジ) 先端がビス型(雄ネジ)の取っ手をねじ込んで、しっかり締まったら左右に強く回転しながら抜去するのだが、術者の先生何を慌てたのか、取っ手側のビスを斜めにして無理やりにねじ込んでしまった。挙句の果てネジをナメてしまい、ビスとナットの関係はぐらぐらしてしまい、取っ手を回して引き抜くことができなくなってしまった。仕方がないので、取っ手を金槌でガンガンたたいて引き抜く羽目になった。腰椎麻酔だったので痛かったそうだ。大体、ネジは斜めに強引にねじ込めばナメてしまうのは当たり前である。術者の先生は、子供のころから勉強ばかりしていて、ネジの回し方を知らなかったのではないだろうか?

2. マウンテン・バイク(MTB)を盗まれた : 滋彦が 30歳のころの話である。残雪期の北海道日高山脈の北半分を縦走した。下山口の大樹町歴船川中流部の林道わきの立ち木にMTBをキー・ロックし、車で約70km先の帯広市の登山口に向かった。日高山脈は南北に長く、予定の山塊を踏破するのに7日を要した。ペテガリ岳から下山口にたどり着いたが、置いたはずのMTBが見あたらない。よく見たら縛り付けておいた立ち木がMTBの高さで、すっぱり切られている。立ち木を切って、MTBを盗んだに違いない。これから。麓まで20km,国道を50km歩くのは辛いなあ! 途方に暮れていたら、そこに一台の4駆車が上がってきた。訳を話してヒッチハイクを頼んだら、大変に同情された。「今日はうちに泊まれ。明日送ってあげよう」と言ってくれた。お言葉に甘え泊めていただいたが、風呂まで入れてくれてご馳走してくれた。翌日、入山口まで送ってくれた。帯広の警察署に盗難届を出したが出てこなかった。MTBは高級車でだったので、勿体ないことをした。

3. 岩登りで: 大学時代、スキー山岳部の仲間3人で、谷川岳の衝立岩をクライミングした。土曜日に登り始め、夕方山頂に着いた。ここから、懸垂下降を何回か繰り返して、麓に戻る計画であった。何本か懸垂下降を繰り返したときである。使ったザイルを回収しようとしたとき、手元のザイルの反対側のザイルが岩のクラックにはまり込んで、抜けなくなってしまった。こういうことはよくあるので、回収するときは気を付けなければいけないのだが、回収係が遊びのザイルを岩から離すことなく、何の気なしに手元のザイルを引っぱってしまったのだ。「明日は日曜日だからだれか登ってくるだろう」という訳でここでビバークした。翌朝、案の定親子のクライマーが登ってきて、トップは小学生くらいの子だった。訳を話したらするすると登って行って、あっという間にザイルの挟まったクラックに着き、ぽんとザイルを放り投げてくれた。

4. 雪山で滑落 : スキー山岳部の同僚、M君と厳冬期の北海道大雪山脈をスキー縦走したときである。何日目か、美瑛富士の宿泊予定地に間もなくたどり着く頃、時間は夕方になってしまった。吹雪いており、霧がまいていてホワイトアウトの状態であった。山頂の東斜面をトラバースしていた時である。滋彦は宿泊場所に早く着きたくて、M君を置き去りにして先を急いだ。(滋彦は行動に余裕がない時は、相手のことを全く考えない悪い癖がある)  Ⅿ君はシュプールを辿ってついて来るだろうと気楽に考えていた。その時である。足元の新雪が、突然つるつるのアイスバーンに変わった。そこはエッジが効かず、斜面をずるずる滑り落ちた。平坦地で漸く止まったが、アイスバーンはつるつるで、同じところを登り返すのは不可能であった。テントは滋彦が持っていたので、M君と行き会えなければ大変なことになる。滋彦は大声を出したりホイッスルを吹いたりして知らせたが、吹雪の音で遮られてしまった。周囲は全く見通しが効かない。そんなところへM君が落ちてきて、同じところで止まった。その後、2人は安全なところでテントを張った。たまたま同じところで滑落したから良かったけれど、行き会えなかったらM君は遭難死するところであった。やれやれ。

 

 

 

 

 

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