徒然なるままに 33. 新聞を読んで・その9 | 市川内科医院のブログ│実験室

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徒然なるままに 33. 新聞を読んで・その9

2024年1月23日

少し古い信毎の記事です。飯山市長が「高野辰之のふるさとは飯山の歌だ」と突然言い出したそうです。辰之の出身地の豊田村は今は中野市なので、中野市長が困っている…と言うような記事です。記事の論調は、飯山市長が喧嘩を売っているように取られなくもありません。しかし、よく考えてみれば、飯山市長の言いがかり?も、理解できます。

旧豊田村は、戦前・戦後の市町村合併に伴い、村名が頻繁に変わった村です。旧・永江村と旧・穴田村が合併して永田村に、豊津と上今井が合併して豊津村となりました。このように両村の漢字を一字ずつ取って名づけるのを、合成地名と言うそうです。高野辰之は永江村の出身です。昭和31年に永田と豊津は合併して豊田村になりましたが、豊田村は飯山市に地方事務所を置く下水内郡でした。平成12年に豊田村は吸収合併の形で中野市に編入されました。

もともと、北信地方の郡市の区分は千曲川で境されていました。大河の存在が両郡を隔てていました。千曲川の左岸が下水内郡(飯山市、豊田村、栄村)、右岸が下高井郡(中野市、山ノ内町、木島平村、野沢温泉村)です。豊田村は交通の便を含めて飯山市に依存することが多かったのです。しかし平成に入って交通や商圏の変化で、豊田村は中野市との繋がりが深まり、中野市と合併したのです。辰之の頃の永江は中野より飯山とのつながりが強かったのです。

記事の真ん中辺の、飯山市長は「高野辰之の終焉の地の下高井郡野沢温泉村(下高井郡)とも仲良くやりたい・・・」と言っているのだから、中野市とも仲良くやればいいのになあ。

 

 

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