ゆく河の流れ 12. 私とラジオ その2.
2025年3月31日
子供の頃から理科、その中でも電気が好きで、大人になったら電気で身を立てたいと思っていた。小学校高学年の時、親戚のお兄さんから手軽な鉱石ラジオの製作方法を教わった。竹筒にエナメル線を撒いて、小容量のコンデンサーを撒いて同調回路にした鉱石ラジオを、親戚のおじさんに教わった。長いビニール被覆線を繋いでイヤホンで聞いたら、小さな音で何かが成った。ただし、NHK 第1,第2、SBCが混信していた。そうこうしているうちに、松本へ行く機会があり、そこの親戚で子供たちに鉱石ラジオのセットを買ってくれて、一人1台ずつ製作した。他の子は皆成功したのに、私のだけ鳴らず悔しい思いをした。大人に手伝ってもらい何とか鳴ったが、中野に帰って鳴らしたら、うんと小さな音しか出なかった。アンテナを工夫したりコイルを高級品に変えたりして、だんだんはっきり聞こえるようになった。
そこからは坂道を転がるように、ラジオにのめり込んだ。真空管やトランジスタを使った回路を製作して、工作室は足の踏み場がないほど、部品が転がっていた。親戚のお兄さんから 5球スーパーの部品を貰い、他のおじさんからは5球スーパーの調整に欠かせない高周波発振器を貰った。NHK出版「初歩のラジオ・ハンドブック」を買ってもらい、表紙がぼろぼろになるまで読み込んだ。この本は5球スーパーの部品で種々の実験回路の製作が出来て、楽しかった。この時の経験で、大人になってオーディオにのめり込む下地ができた。 続く