ゆく河の流れ 13. 私とラジオ その3. | 市川内科医院のブログ│実験室

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ゆく河の流れ 13. 私とラジオ その3.

2025年4月2日

中学時代は、鉱石(ゲルマニウム)ラジオの同調コイルを高級品にして感度を上げて聞いていた。普通の鉱石ラジオでは考えられない程、はっきりした音が出た。自分の部屋までアンテナを引き込み、夜は勉強をするふりをしてラジオを聴いた。この頃から民放の音楽を聴くようになった。洋楽も子供なりによく聴いた。高校に入って5球スーパーを組み立てた。音の良い小型のスピーカーをミカン箱に備え付けた。真夜中に親に見つからないように、耳をそばだてて遠方の放送局の放送を聞いた。5球スーパーは感度が良くて全国の放送局が聴けた。地元のSBC局の受験講座を聴いたが、旺文社の大学受験ラジオ講座は、テーマ曲のブラームス「大学祝典序曲」は覚えているが、教科の内容はあまり覚えていない。この頃、東京のキー局(ニッポン放送)で作成された深夜放送を知った。深夜放送は「オールナイト・ニッポン」と言う番組で、これはは楽しかった。週日ごとにMCが異なって、それぞれのキャラクターの違いが楽しめた。大人の世界を垣間見た思いがした。(今から思えば、深夜放送なんて餓鬼の世界なのだが・・) 高3の頃ビートルズが出てきたが、丁度この頃受験が忙しくなり、ビートルズどころではなくなり、洋楽から遠ざかった。

S39年に東京で浪人生活を送った。下高井戸の姉の下宿に転がり込んだ。中野で使っていたお古の 5球スーパーが友達だった。何分おんぼろで、ダイアルのツマミがすぐとれる代物だった。だましだまし使ったが、東京は電波が強いので、実用には問題なかった。東京は民放が沢山有り、あちこちダイアルを回して楽しんだ。文化放送は良質な番組が多く、よく聴いた聞いた覚えがある。 「・・・文化放送 文化放送  JOQR ・・・」がコールサインであった。この頃、NHK FM が試験放送を開始していて、新宿・京王デパートのパナソニック・ショウルームで高音質の放送を流していたた。S39年は東京オリンピックの年で、ショウルームではカラーTVの試写が見られた。電気、ラジオ、TV 、オーディオ etc. 興味が尽きなかった。予備校は秋葉原に近かったので、帰りによく電器屋街を覗いた。中古品の真空管を手にとったりして、大学に受かかったらFM受信機を製作するのが夢だった。

この項、続く

 

 

 

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