私の趣味 2. 写真 | 市川内科医院のブログ│実験室

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私の趣味 2. 写真

2025年4月18日

父が写真をやっていたので、私もいつの間にかカメラを手にしていた。ところで、父は昭和13年に宣撫班(せんぶはん)で中国・石家荘に派遣された際、ドイツ製ス-パー・イコンタを持っていった。6×6 版の中級機で、かなり性能の良いものだ。その後、昭和30年代まで、それでモノクロームの写真を撮っていた。 35年頃、キャノンを導入し、当時は珍しいカラー・ポジ(リバーサル)の写真も撮った。町の写真屋でフィルムを購入し、東京の現像所に郵送し、郵便で返ってくる。一時は、引き伸ばし機でモノクロームのプリントもやっていた。

私は、昭和36年に高校に入学した当時から、父のカメラを持ちだして、モノクロームの写真を撮り始めた。初めは標準レンズだけだったが、うまくなると望遠レンズが欲しくなり、親に頼んで「コムラー」の望遠レンズを買ってもらった。大学時代は写真部に所属して、仲間がいるところへはいつもカメラを持って行って、写した写真を手札版に伸ばして喜ばれた。フィルム現像から引き延ばしまで、全部自分でやるのだから、お金もそれほどかからず、仲間にはタダで配った。

医学部の定員は60人で、私たちより上の学年は、卒業記念アルバムを作った。何か行事があるたびに町の写真屋を呼んで写真を撮ってもらい、卒業の時にまとめてアルバムにするのだ。当時のお金で5万円ぐらいはしたと思う。普通の学部ではこんな贅沢なことをしないので、私がアルバム委員になった時、「写真は俺が撮るから任せろ」と言って、行事の写真を撮りためていた。そのうちに、面倒くさくなって、いつの間にかやめてしまった。上の学年はみな高いお金をかけて卒業アルバムを作っていたのに、私の学年で止めてしまったのは、クラスの仲間には申し訳ないです。

私は、山登りが趣味だったので、カメラは常に持ち歩いた。学生時代に大判のマミヤ・プレスを入手して、山岳写真を撮った。全紙にプリントしてパネルに張って級友に売った。下宿の部屋のアクセサリーとしてよく売れた。お金が貯まったので、ミノルタの一眼レフを中古で買った。ミノルタは南信の天竜峡へバイクでツーリングした際、不注意で紛失してしまい惜しいことをした。

医者になってからも、旅行や登山、日常の自然観察には、常にカメラ(ニコン)を持ち歩いた。カメラも 35mm と、6×6 のハッセル・ブラドも手に入れた。中野写真クラブに所属して、長野県写真展に出品したり、クラブの写真展を開いた。医院の中の待合室や廊下に撮影した写真を飾った。プリントは、ネガカラー、リバーサル・ダイレクトクリント、今はデジカメ・インクジェットである。

「写真」が人生の大きな部分を占めていた。初めに書いた「電気」と、どちらかが、その時その時でどちらかがウエイトを占めていたように思う。片方が重くなると、もう一方が軽くなるのである。最近、写真も電気もウエイトが下がり、写真のプリントを手本に油絵を描くことが多くなった。

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