私の本の読み方 8.コメンテーター ヘルダリン 藤圭子
2023年9月18日
最近読了した本、3冊紹介します。
「コメンテーター」奥田英明著 : しっちゃかめっちゃかの精神科医 伊良部先生と、同じくらいに壊れている まゆみNS が繰り広げるドタバタ喜劇である。このシリーズは「イン・ザ・プール」「空中ブランコ」「町長選挙」に続く4冊目である。この本では、冒頭の「コメンテーター」を含む全5編の短編で形成されている。各編ごとに心に悩みを抱えるクライアントが登場し、伊良部先生のクリニックを受診しながら、心の健康を取り戻していく話だ。ありえない話だが、この本を読むと勇気が湧いて来る。私はズボラなうえ、おっちょこちょいなので、思い出すだけで顔から火が出るほど恥ずかしい思いをすることが多々ある。そんな時、この本を読むと勇気が湧いてくる。「そんな事どうだっていいじゃん。誰もお前の事なんかどうとも思っちゃいないよ」と話しかけてくれるようだ。私はこの本を読むと気が大きくなり、患者さんを診る話し声が大きくなる。 「ヘルダリンHölderin 」ランゲ-アイヒバウム著 訳者はかの西丸四方先生である。(2023.2.28 徒然なるままに 5.西丸小園筆・島崎藤村の肖像画 参照) 一般的にはヘルダーリンと引き伸ばされるが、どうして西丸先生はヘルダリンとしたのだろうか? 以下、訳者のあとがきから「ホェルダァーリンとしてホェに力点を置けば原音に最も近いが、こう書いては誰もヘルダリンと思って下さらないし、ヘルダーリンとすると、日本語の癖でダーに力点が置かれてしまうし、リーンいうのも日本語ほど長く強くないので、ヘルダリンとしておいた。」 ヘルダリンはギリシャ文学に秀で、「ヒューペリオン」「エンペードクレス」などの詩作で知られている。32歳ごろから今でいう統合失調症が発症して、徐々に精神が侵され、晩年は重症となり最後は内科疾患で死んだ。本書では、病期の各時期の詩作を取り上げ、そこに見られる精神の偏りを丁寧に解説している。内容はかなり難解で、特に時系列で示された詩作の記載は、私の理解度を超えていた。大体、健常な時の詩さえ私には難解で、それが徐々に精神が侵されていく様を、本書では細かに解説してあるのだが、どこが異常なのかさっぱり分からなかった。最後に天才と精神疾患の関連について述べているが、世間では天才は精神病と関連付けて考えられるが、両者にはなんの関連もないと書いてあった。(私の読解力ではそのように理解したが、それも不確かですです。) 前記のブログでも取り上げたが、なぜこの本が中島家にあったのか、はっきりしたことは分からない。おそらく物知りの中島次郎さんと西丸先生が話をしていて、精神疾患のことが話題になったとき、この本を贈呈することになったのだろう。ハードカバー本の表紙の裏には「贈 中島次郎様 すみえ様 西丸四方」と署名してある。この本は、長野市の二葉堂の包装紙で丁寧にラッピングされていたが、全く読んだ形跡はなかった。それにしても、訳者の西丸先生は天才だと思った。ヘルダリンの原詩を翻訳したり、原著の翻訳意外にも訳者注が所どころにあり、先生の博識ぶりが十分理解できた。 「流星ひとつ」 沢木耕太郎著 : 姉から借りた本です。最初は誰かとの対談をまとめた本だということは分かるのだが、それが誰なのかは分らない。ただ、その対談相手は、冒頭は全く気が乗らず沢木を手こずらせる。しかし、沢木の巧みな聞き出しで、対談相手は「夢は夜ひらく」の藤圭子でであることが分かってくる。藤圭子はウォッカ・トニックを飲みながら心を開いていく。一章ごとにウオッカの盃が進められる。そこでは藤圭子の語る旅の思い出に、沢木が感動するその姿に、藤は沢木こそ本当に自分を理解してくれていると評価する。対談の中で藤は、歌が好きで歌手生活を続けたこと、前川清とのことなど、その時々の気持ちが忌憚なく語られる。折々にマスコミから報道される藤に関する記述が、いかに的外れであったかも明らかにされる。対談をした時期は、藤圭子が声帯ポリープの手術をして声が変わったことに悩み、それで歌手を辞めた直後である。歌手を辞めた後、藤圭子は宇多田ヒカルを儲けるが、晩年は心を病み最後は自殺する。この本は、藤圭子が亡くなってから出版されるが、宇多田ヒカルの許可を得たそうだ。あれ程の大歌手でも、歌手引退後に心を病んでいく様子は、解説の梯久美子が丁寧に記載してある。最後に、対談後出版の時期を待って、何10年もしてから上梓する沢木の根気には驚嘆した。