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私の本の読み方 21.芥川龍之介集  苦界浄土

2024年5月31日

「芥川龍之介集」 現代文学大系 25  筑摩書房 芥川龍之介著の全40編が収められている。芥川は36歳で自死するが、その著作は多い。独特の書風で難解な表現も出てくるが、その辺は飛ばせば読みやすい。今風の言葉でいえば「ホラー」だが、昔の日本はこんなものだったのだろう。最後に臼井吉見の丁寧な解説が出てくるので、これを読めば芥川文学概要はつかめる。

「苦界浄土」 石牟礼道子著

この本の初出は1972年で、私が水俣を旅したのは 1970年だった。当時、すでに水俣病のことは人口に膾炙(かいしゃ)していたが、学生だった私はたいして関心を持っていなかった。ただ、恐ろしい公害病の発生地であることに恐れを感じて、そっと通り過ぎた。この本を読んで、当時の水俣病の状況をもっと理解する必要があった、今になって悔やんでいる。そして、最近の被害者と環境省の軋轢を見聴きするにつけ、水俣病は少しも解決されていない事実に愕然とする。   読後感想は、石牟礼さんは「情緒の人」だということだ。水俣病発生以前の不知火海の美しい様子を{浄土」にたとえ、発生してからの海を「苦界」と例えている。さらに水俣病患者の凄惨な様子が克明に描かれている。あと書きで石牟礼さんは、「被害者の聞き書きの形式をとっているが、私は被害者には丁寧で時間をかけて対面したが、被害者が発している言葉を書き留めたものではない。「苦界浄土」は小説であり、患者の話は私が想像して書いたものである」と記している。苦界浄土を上梓するためには、ノンフィクションで書き上げることはできなくて、フィクションの形式をとらざるを得なかったのであろう。ただ、情緒の人ゆえ、人文学や自然科学にやや正確さを欠く記載があった点は残念である。

 

本をコピーして、以下私の感想を書く。  1, 山中九平少年は生まれてから水俣病を得て、盲目になった。野球が好きでいつも石ころと棒きれでノックの練習をしている。発症してからは熊本大学の医師の診察を受けたが、病状は改善しなかった。のみならず、毎回検診の度にあちこちいじり回されるのを厭って、検診の受診を拒んでいる。この時も、ラジオにしがみついて検診に行く車に乗ろうとしない・・・と言った場面である。一般的に、地域住民対象の検診はウイークデイの午後(1時半ごろから  )行うことが多い。しかし、巨人軍の試合と歌謡曲、十人抜きのど自慢の放送は、この時間帯ではありえない。(どちらの放送も、やるならウイークデイなら夜、あるいは土、日曜の午後だろう。この時間に一般者対象の検診は恐らくやらない)   このことから、この項はフィクションであると私は思った。本文にも石牟礼さんがいみじくも書いているが「私は野球音痴で・・」  そうだと思う。長嶋が長島になっている!   2. 熊本大学病院に入院中の老婆が、たまたま構内を散歩中に病理解剖の現場を見てしまった、と言う記載である。確かに石牟礼さんは水俣病を告発するという立場から、病理解剖の見学をしたことは、本の内容にも書いてある。その様子を老婆に語らせているのだが、これは疑わしい。一般者が解剖室を窓から覗き見できることなどはあり得ない。熊本大学医学部も私が通った信州大医学部も旧陸軍聯隊跡地に作られた。建物は創立当初は草深い跡地に残った兵舎をそのまま使ったようだ。縦(よしん)ば、草原の真ん中に建てられているとしても、周りは高い塀で覆われるか、窓は開け放れはしないはずである。このことからも、「苦界浄土」はフィクションであることを証明してある。    3. ・・・松の巨きな根元で、カーバイド燈のカスをこぼして・・・   地元ではそう呼んでいたかも知ないけど、カーバイド燈と言うのはない。あるとすれば、アセチレン燈だ。カルシウム・カーバイドにン水を滴下して出てきたアセチレンガスは、むかし夜店でよく見たアセチレン燈である。ガスを出し切ったカーバイドは、消石灰になって足元に散らばる。  4 水俣病患者互助会会長らが熊本県議会あてに請願書を提出した下りで、藪から棒に「県議会には長野県議の示唆あり。」とでてくる。長野県議と熊本県議会の間にどんな関係があったのだろうか?  熊本水俣病が社会問題化した後発生した新潟水俣病は「昭和電工」阿賀町工場から流れ出た有機水銀が発生源である。新潟水俣病被害者と熊本県水俣被害者の間ではかなり濃密に接触しあった。 一方、長野県には昭和電工が塩尻と大町に昭和電工の大きな工場を持っている。塩尻ではアルミ精錬を、大町では精錬に使う黒鉛電極を作っていた。そして、チッソでは黒鉛電極を使ってカルシウム・カーバイドを作っていた・・・・  そのあたりに何か関係が??     長くなった。水俣病のことは語り尽くせないので、改めて「徒然なるまま・・」で書く。

 

 

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