私の本の読み方 37. 外国航路石炭夫日記
2024年12月4日
「外国航路 石炭夫日記」 広野八郎 この本も「虐げられた人たちの記録」の書評で見て読んだ。話は1928年から31年の昭和に入ったばかりの時代である。それなりの教育を受けたが、親の借金返済のためにやむなく下層船員を務める青年の日記である。当時、世界中が不況で、日本では底辺の労働者が、特に虐げられた船員生活を強いられた。数か月の短期研修のあと乗り込んだのは、5000トン余りの貨物船であった。戦前から昭和30年中期までの海洋航行船は石炭蒸気船であった。蒸気機関車のボイラーのような巨大な缶に石炭をくべる仕事が、最も下層の船員の仕事で、彼らは火夫(石炭夫)と呼ばれた。石炭は燃えがらが残るので、一度石炭をくべて燃え尽きたら、燃えがらを掻き出さなければならない。外国航路の船では常時、燃焼、灰の搔き出しを繰り返すので、劣悪な環境でしかも低給で働かされる。寄港地では酒を飲むか、遊女屋に駆け込むしか仕方ないのである。火夫たちは火夫長(船長)に無理やり金を貸し付けられる。断ると様々ないじめにあい、昇進を拒否されるのだ。そして、借りた金は恐ろしく高金利なのだ。最初に乗った船は、日本とインド・セイロンを往復した。東南アジアの猛暑の中で機関室の熱暑に耐える。そして、いじめにあう。借りた金を高利で返すと、いくらも残らない。徐々に、体を壊していく。ちなみに華氏140度はセ氏60度である。船底の機関室の気温がセ氏60度とはすごい。
次に乗ったのは、1万トンクラスのヨーロッパ航路の豪華貨客船であった。この船は特に労働環境が悪く誰も乗りたがらないので、著者の様な真面目な火夫が乗船を押し付けられた。猛暑のインド洋、紅海 冬のイギリス近海、体調の管理もおぼつかない。この船の下層階級の船員の労働は想像を絶する過酷さなのだ。最後は病気で船乗りをやめることになる。2年半、船を降りたときに渡された報酬はほんのはした金であった。小林多喜二の小説「蟹工船」さながらの過酷な底辺労働者いじめの境遇があったのだ。そして、世界中の港々には、親に売り飛ばされた遊女たちが春をひさぎ、更に歳を経た女たちが、故郷とは反対の僻地へながれていくのであった。昭和初期の理不尽な労働者いじめは想像を絶する過酷なものであった。