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徒然なるままに 70. チッソと水俣病の歴史 その2  石灰窒素とアセトアルデヒド

2024年7月8日

石灰窒素:水俣のチッソは石灰窒素(カルシウム・シアナミド CaCN2)も生産していた。チッソはカルシウムカーバイドCaC2 を生産していたので、石灰窒素の原料入手は容易であった。高温下でCaC2に窒素 N2を加えることで、容易にCaCN2が得られる。(蛍石  CaF2 の存在下ではさらにこの反応が速やかになる)  CaCN2は生物体には有毒である。CaCN2 を畑に蒔くと、7日~10日で無毒の炭酸アンモニウムと尿素に変わる。石灰窒素は緩効性肥料と呼ばれる所以だが、その毒性は土壌の消毒剤としての効果もある。土壌に散布することで、土壌中の嫌気性菌や糸状菌などの殺菌効果がある.

以上の理由により農地の石灰窒素の散布は、春先にまだ畑に何も植えられていない時期に限られる。酸性土壌改善と窒素補給が期待されるので使いやすい。カルシウム・シアナミドは毒性があるので、散布には十分注意してほしい。

話は飛ぶが、ヒトが酒を飲むと、吸収されたアルコールは体内のアルコール脱水素(酸化)酵素でアセトアルデヒドに変わる。アセトアルデヒドは毒性が強いが、体内にあるアルデヒド脱水素(酸化)酵素により無毒の酢酸に変わる。シアナミドはアルデヒド脱水素酵素作用を阻害するので、石灰窒素を畑に散布した後、酒を飲むとひどい悪酔い症状が現れ、場合によっては死に至る。一方、シアナミドは医師の観察下で嫌酒薬としても使用された。(今はもっと安全な嫌酒薬があるので使わない))

アセトアルデヒド: いま、多くの化学製品の原料はアセトアルデヒドである。有毒だが諸々の化学製品の基礎となる大事な物質である。アルドール反応を使ってアセトアルデヒドを重合させ、プラスチック、薬品、香料、等、数え上げればきりがない。日本中をアセトアルデヒドを積んだタンクローリーが走り回っている。私のブログでは何度も述べたが、エチルアルコールが酸化してアセトアルデヒドになり、アセトアルデヒドが酸化して酢酸になり。酢酸が酸化すると炭酸ガスと水になる。酒を飲むと一時的にではあるが、毒性の強いアセトアルデヒドが体内にできるのだから、酒飲みは危険な毒物の人実験をしているのだ。

石炭化学の時代には石炭からカルシウム・カーバイドを作り、それに水を加えるとアセチレンが生じる。アセチレンから水銀 (Hg) 触媒下でアセトアルデヒドを合成した。水俣のチッソ、 新潟阿賀の昭和電工では、この過程で出るメチル水銀を処理せずに河川に放出した。その結果阿賀野川流域と不知火海沿岸で有機水銀性脳症が発生した。1970年頃にわかに水俣病が社会問題になったが、この頃から石炭化学工業は石油、天然ガス化学工業にに移行しつつあった。後者ではエチレンからアセトアルデヒドが合成できるので、水銀触媒の代わりに安価で無毒の鉄を含む触媒で合成できるようになった。

水俣病が知られるようになったころ、国も会社もこれほど大問題になるとは思っていなかったきらいがある。そして、時代も石炭化学工業から石油化学工業に移行しつつある時期に差し掛かっていた。賠償を小出しにして最小にしておけば、いずれは水銀の排出は止まり、世間の関心もうすれる・・・、虫の良い考えだ。しかし水俣病の被害者、死者は予想よりずっと多く、広範に広がった。こんな感覚が、現代にも続いていて、先ごろの様な問題行動が飛び出るのだ。

 

 

 

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