徒然になるまま49.父の音楽と電蓄
2024年4月27日
「電蓄」とは「電気蓄音機」のことで、SPレコードをを再生する電気装置のことでした。昭和40年代に入って、ステレオLP の再生装置を「ステレオ」と呼ぶようになりました。
戦争直後のオーディオ・パーツで、上の真空管は今でもハイエンドマニアが欲しがります。左2本はUSAのRCA社の製品で、おそらく戦争中に作られて、戦後日本に入ってきた出力管だと思います。とても性能が良く、メタル管であるところから、航空機や艦船に乗せられて使われた製品と思います。米軍の放出品だと思います。今でもメイン・アンプに使えばよい音がします。下は耐圧400V 容量8μFのオイル・コンデンサーです。 4本でやっと 32μF です。戦争直後は高耐圧、大容量のケミカル・コンデンサ-は手に入らなかったので、こんな武骨な(しかも少容量の)コンデンサーが使われていました。
当時のアンプのパーツです。左上の写真の下左はチョーク・トランスです、その右の茶色の帯が写っているのは電源トランスです、電源トランスは特注の手巻きのトランスです、どちらもしっかり作ってあって良い製品です。右の出力トランスは、昭和26年製造の出力トランスで、今でも通用する高級トランスです。戦後いくらも経たないのに、このような高性能のトランスができたことは驚きます。
ここから本題に入ります。父は明治の生まれにしてはハイカラでした。(もっとも、当時の人は今の人よりクラシックをよく聞いていたようですが・・・) ついでに言うと、。美空ひばりと都はるみが嫌いでした。(余計なことですが・・・) 昭和30年頃、父は甥(私の従弟)が電気に詳しかったので、大掛かりの電蓄を作ってもらいました。その時のアンプに使った部品をお見せした次第です。 アンプは木製の大きなキャビネットに入っていて、上の蓋を開けると、ターンテーブルとカートリッジ・アームが入っています。掛けるレコードは 30 ㎝の SP 盤 です。 スピーカーはUSA の Jensen 社製の25cm フルレンジでした。 SPボックスは無垢(むく)のカツラ材の手作りで、縦1m, 横 60 cmくらいあったでしょうか? 映画館や劇場の音響装置の小型版、と言ったところでしょうか? さぞかし良い音がしたと思います。 装置のわりに、父はあまりレコードは聴きませんでした。当時の、30㎝ SPレコードは片面 5分位だったでしょうか? 交響曲や弦楽四重奏は最低6枚組でした。今思い出すのは、ラベルのピアノ3重奏、ラロのスペイン交響曲、ドップラーのハンガリー田園幻想曲 が有りました。LPの初期に入ってからは、改造した電蓄でチャイコフスキーの白鳥の湖などを聞いていました。
こんなに良い装置なのに、父はあまり音楽を聴きませんでした。だけど、私が友達を家に呼ぶと父は急に張り切って、レコードを聴かせたがるのです。迷惑なのは子供たちです、ドデカイ音で先ほどのクラシックを聴かせるのだからたまりません。5分経ってヤレヤレと思うと、レコードをひっくり返して、「もっと、聴いていけ!」・・・・・・
最後にこの⒉本の真空管を紹介するのを忘れていました。このタイプはST管と言い、そのあと冒頭で紹介したGT管、最後はMT管が生まれました。左は直熱整流管の5Z3です。親父のアンプに使われていました。右は音の良い直熱3極出力管の2A3です。出力はあまりでませんが、直線性が良いので今でもマニアの間では人気があります。