私の本の読み方 22.伊福部昭 について
2024年8月12日
私の本の読み方は、5月31日以来だから、久し振りの読書感想である。以前にも私のブログで書いたが伊福部昭に嵌ってしまって 読書時間が減ったのかも知れない。伊福部が言っている「大楽(たいがく)必易」とは「優れた音楽とはわかりやすいものである」ことを示す。伊福部昭評論の一任者の片山杜秀が渾身を込めて書いた伊福部昭論で読み応えがある。片山はテープレコーダーを伊福部家に持ち込んで、超ロングインタビューを敢行したらしい。(音楽理論など記述内容がやたらと詳しく、音声記録がなけれが書き起こせないような内容がたくさんある。あるいは、片山さんがやたらと頭が良いのか?)まあ、読んでお楽しみに!と言うことにしよう。この本をきっかけに、私はCDを買いまくってしまった。伊福部の言っている「大楽必易」の意味が良く分かった。私はこれまでクラシック音楽は教養の一環としてとらえていた向きがある。FM放送の解説を聞いて、なるほどそういうものか?と納得していたが本心楽しんでいなかった。私のブログでも書いたのだが、伊福部の「サロメ」を聴いたとき強い衝撃を受けた。それから伊福部の管弦楽曲に熱中した。伊福部はゴジラのテーマで知られるが、ゴジラだけではなかった。沸き上がる音楽の泉なのだ。
伊福部の管弦楽曲は規模が大きい。上の写真は伊福部生誕100年記念演奏会の記録である。コントラバス8,チェロ10、ビオラ12,第1ヴァイオリン15?,第2ヴァイオリン14?、管楽器22,打楽器3,合唱16 総勢100人の大編成である。打楽器の席が空いているので、曲によってはこれに打楽器が複数人加わるのかもしてない。この編成で、ぐんぐん圧してくるのである。そして哀調のある楽章はひたすら胸に迫るのだ。
伊福部は純粋クラシック音楽以外にゴジラなどの映画音楽でも一任者であった。戦後は映画音楽作曲に引っ張りだこで、純音楽の作曲数が少ないのはもったいなかった。他に、バレエ音楽、舞踏の音楽家でもあった。(伊福部の妻は舞踏家であった) 私は舞踏音楽「サロメ」がお気に入りだが、「大楽必易」にはサロメのことは全く記載がなく残念だ。
上の写真は、舞踏「日本の太鼓・鹿踊り」の一コマである。鹿の姿を模した踊り手の背後のササラを床に打ちつけて踊る姿が髣髴とされる。私はTVでこの様子を見たような記憶があるのだが、さぞかし勇壮な踊りだっただろう。もう一度、この踊りを見てみたいものだ。この写真は、アイ・キャッチ画像 向かって右の緑色の「伊福部昭」小林淳著 の本に載っていた。