徒然なるままに 51. 新聞を読んで・その14 アカデミック・ハラスメント
2024年5月14日
新聞のコピーとは違うかもしれないが、私も同じような経験をした。電気生理学の研究をやりたかったので、医学部を選んだ。医者になって臨床で電気生理学を研究するのは循環器内科だろうと思って第2内科を選んだ。⒉内には循環器の権威のH講師がいるから指導してもらえると思ったが、それは大違いであった。第2内科には電気生理学の研究設備はなく、電気生理学を研究テーマにしている先輩はいなかった。H講師はを頼りに2内に入ったのだが、私の希望する電気生理学の研究ができないので、指導教官(H講師)は研究テーマを決めてくれなかった。同じ循環器班の、私より3年上のO先輩は組織線溶のテーマで研究を始めていたが、私は放っておかれた。H講師は、「そのうち放射線医学研究所の先生を紹介するとか、今は超音波診断が主流になるからそれを使って研究すれば良いとか、この研究はアメリカのNASAでやっているから、そこで出した論文を読んでみたらどうか」とか荒唐無稽なことばかり言って、まともに相手をしてくれない。
そうこうしているうちに、H講師が「線溶能の研究を、東京の大学の薬理学教室でやっているから、そこで教わって来い」と提案してくれた。私は、電気生理学をやりたかったので試験管振り(生化学の実験)には興味がなかったが、取りあえずその研究に取り掛かった。テーマは「透析患者の線溶能の研究」である。3年上のO先輩は組織線溶の研究をやっていて、私が分からなくからなくなると時々教えてくれた。教授とH講師には時々研究の進捗状況を報告したが具体的は提案がなく、私は自分の好きな研究テーマで試験管振りをした。科学の実験は好きだったのでいつの間にか実験に没頭していた。指導教官のH講師は線溶の知識が全くないので、私は手探りの状態で実験を続けた。上司はあまり頼りにならないので、O先輩に相談しながら、興味の赴くまま実験を続けた。多くの医局員は肝臓、膵臓、血液などの臓器別のサブグループに所属して、そこで手取り足取り指導されて研究を進めいていたが、私とO先輩と三年下のY君は循環器プロパーで、各々自分のやり方で研究を続けた。私の研究も関連学会で結果を報告したりしているうちに、何とかまとめられる段階になった。教授に「自分の退官までに論文を書けば学位をやろう」と言われ、足の裏の米粒(取らないのは変だけど、取っても食えない)と知りながら論文を書いた。論文に仕上げる前に、基礎医学(順応医学・生化学)の教授にみてもらったら、こっぴどくけなされた。自分の教授と講師にそのことを話したら「だからお前は誰にも相談せずに、自分勝手にことを進めるからいけない」と叱られた。(誰も教えてくれなかったのだから、仕方ないじゃないか!) 教授は「仕方がないから、それでまとめろ」と言ってくれたので、何とか論文にした。研究の結論は、私が立てた推論を肯定も否定もしないような論文になったが、線溶を活性化する因子を阻害する因子(すみません、素人にするのは難しい!) の測定系で、私のオリジナルの方法はとても簡易で再現性も良いことは自信があった。このことはもう少し実験を重ねて、学会に報告して論文にしておけばよかったのだが、退局して市中病院に就職してしまってから、再びあの窮屈な医局に戻るのも嫌で戻らなかった。市中病院勤務を5年ほど続けて、それから開業した。
当時の研究室はのんびりしていてこんな雰囲気であった。今考えてみて電気生理学の研究がその教室のテーマだったのなら、測定機器も実験器具もそろっているだろう。上司も研究のノウハウを持っているだろうから、教わる方もアイデアさえあれば研究できたであろう。一方、試験管振りでも2内には各種の測定器具や実験器具が揃っていたので自由に使えた。試薬なども先輩たちが取ってくる研究費でいくらでも(特に高価なものではない限りは)買えた。あまり、指導はしてもらえなかったが、少なくとも「それをやるな」とは言われなかった。アカ・ハラとは言えないし、自分でもそうは思えないが、アカハラに関連した記事字を読んだので挙げてみた。