徒然なるままに 11. 水のトラブル
2023年5月13日
1. 深みに嵌る : 若いころはたまに魚も釣った。毛バリでのハヤ(ウグイ)やジンケン(オイカワ)釣りは良く行った。1,980年前半たったと思う。豊野町浅川の鳥居川での出来事である。毛バリ釣りは河原が遠浅で瀬になってるところがよく釣れる。鳥居川の左岸を河口に向かって釣り下った。千曲川の本流に出て左岸の浅瀬を歩いていたとき、突然ズボッと沈み込んだ。胸辺りまで水に浸かり、下半身はぬかるみに足を踏み入れた感じだ。幸い河床の硬い砂利に足がついて、何とか溺れずに済んだ。砂利を取った後の穴に嵌ったらしい。足元は柔らかい泥で何とか足を引き抜いたが、危ない所であった。ゆっくり浅瀬に出て事なきを得た。このような危険な状況だったのに、買ったばかりのグラスファイバーの釣竿を手放さなかったのは、見上げた根性である。?
2. 渡渉: 1,987年8月 滋彦が中2、真也は中1の時である。蓮華温泉から朝日岳に登って、稜線伝いに赤男山→雪倉岳→三国境→小蓮華岳→白馬乗鞍岳→蓮華温泉を計画した。一日目は朝日岳を越して行雪倉岳のとりつきでテントを張った。夜中に雨が降り出し、明け方はかなり激しい雨降りになった。朝飯を食べるころ小降りになったが、霧が深く見通しは悪かった。今日のコースは危険なところがないので、出発することにした。雪倉岳まで標高差550mを登り切った時は、雨と霧で3人ともバテバテであった。その先の避難小屋で小休止して、鉢ヶ岳目指して登り返した。鉢ヶ岳の先2,500m無名峰に「蓮華温泉に至る」の標識があり、縦走は諦めてこのコースを下ることに決めた。地図を見ると一応正式なルートの表示なので、それを信じて降った。ここは昔、 何かの鉱山だったと聞いたことがある。道はところどころ不明瞭なとこがあったが、下るにつれて踏み跡がはっきりしてきた。しめた、これで蓮華温泉に着けると思った矢先、瀬戸川の激流にぶち当たった。そこは開けた平坦地を幅を広げた瀬戸川が流れていた。普段水が少ない時は幅を広げた河原の飛び石伝いに渡渉するのだが、夕べからの大雨で川水は逆巻いていた。すぐ下流から渓流になって、もっと渡り辛い地形である。暫く待ったが水が引く気配がなかったので、思い切って渡渉することにした。裸足になって真也を真ん中にして水に入った。水は私の膝下、子供たちの膝あたりだった。恐る恐る絶対に転ばないように歩を進めた。何とか渡り切った時はほっとした。大水の渡渉はよく事故が起きる。肝に銘じて無理をしないことが大事だ。
3. 海で流される: 何時だったか忘れたが、あまり前のことではない。滋彦と新潟県笹川流れ、馬下(まおろし)海岸で泳いだ。笹川流れは水がきれいなことで知られるが、このときの海ははかなり濁っていた。来る途中、信濃川、阿賀野川が濁っていたような気がする。笹川流れは両大河の北に位置し、大雨で増えた濁流が日本海沖に流れ出し、海岸沿いに南下したものと私は推測する。滋彦は、水中メガネ、シュノーケル、足ヒレで海中を見ながら泳いだ。時々位置を確かめるために、顔を上げて私を確認する以外は、ずっと顔を下にして水中を眺めていた。呼吸はシュノーケルで行っていた。私は泳ぐほうが好きなので、シュノーケル、足ヒレは付けずに水泳用のゴーグルだけ付けてクロールで泳いだ。プールと違って海ではよく浮くので、あまり手足を動かさなくても沈むことはない。のんびり沖の方にあるもう一つの岩を目指して泳いだ(つもりでいた)。その時、滋彦が「お父さん、そっちじゃないよ。流されているよ!」顔を上げて周りを見たら、目標より右に流されていた。私のクロールは右の顔を上げるので、目標を左にして泳ぐと、とんでもない方向に進んでしまう。流れは海岸に沿って北に向かって流れていた。しかもこの時は離岸流というのだろうか、沖にも流された。焦って戻ろうとしたが、流れは思ったより早かった。滋彦に誘導されて無事安全なところに戻れたが、一時はパニクった。浜に戻ったら救急車がきていた。周りの人に聞いたら「中学生が溺れた。水が濁っていたので発見が遅れた」と話してくれた。俺じゃなくてよかった! 数日後、新聞にその中学生が亡くなったと出ていた。