ゆく河の流れ 47. 戦後は暗かった
2025年8月15日
今日(8月15日)は80回目の終戦記念日です。私は終戦半年後の、昭和21年1月25日に生まれました。物心ついた私にとって、戦後は決して明るいものではありませんでした。大人、特に男の人は怖かったです。軍隊から帰ってきた男性は戦争(軍隊生活)のトラウマからか、やたらと怒りっぽかったり、あるいはアパシィー(apathy)でした。当時の食糧難もこの傾向を増長させたのでしょう。
子供の頃は大人に訳もなく怒られました。小学生の頃、過保護な私が子供用の自転車を買ってもらい、街中を乗り回していました。下り坂を勢いよく下っていて、おじさんの自転車にぶつけてしまいました。生意気な子供と思われたせいか、おじさんはひどく怒って、なかなか許してくれませんでした。私は、この時のトラウマで半年ほど憂鬱でした。他にもこんな経験はいくつかあります。小学校高学年の頃、私が悪かったのですが担任からひどく叱られました。一度叱ってすぐ許してくれればよいのですが、30分以上いじいじ叱られたのには参りました。私が泣いて謝っても、なかなか許してくれませんでした。この時も、暫く憂鬱が続きました。
当時の子供はやたらと意地悪でした。特定の級友にひどいいじめを受けていましたが、その他の級友にも疎外されました。級友たちは親の理不尽さを、私にぶちまけていたのかも知れません。当時は先生に受けが良いというだけで、白い目でみられました。中学校までそんな感じでしたが、高校に入ったら全員が同じレベルで、友達関係は抜群に良かったです。大学は大人の集まりだったので学生生活は楽しかったです。
子供の頃に優しい大人はいなかった訳ではありません。幼稚園の女の先生(牧先生)は優しくて、好きでした。ちょっと太っちょで、私が勢いよく先生の大きなおなかに飛び込むと、ぎゅうっと抱きしめてくれました。 小学校に入って担任の勝山則男先生は人格者で、子どもにも一人前の人間として指導してくださり、私達は皆先生が好きでした。