私の本の読み方 12.森鴎外 妻への手紙
2024年1月23日
「森鷗外 妻への手紙」小堀杏奴編 岩波新書 : 杏奴(あんぬ)は鴎外の次女である。鴎外が日露戦争で満州に従軍していた時に、妻しげ子(志げ)に宛てた手紙をまとめた本である。満州の鴎外と、東京の留守宅のしげ子の間に、頻回に手紙のやり取りがあり、鴎外からの手紙(はがき)をまとめたものである。戦地に届いたしげ子からの手紙は、この本には載せてない。恐らく戦地では内地からの手紙を保存して、内地に持ち帰ることは不可能だったのだろう。この本では、生まれたばかりの長女の茉莉の様子をしげ子が克明に報告している様子がうかがえる。
鴎外は陸軍の高官で謹厳実直な軍医と思っていたが、この本では鴎外は意外に家庭的な人物で、妻を愛し長女を可愛がる様子が微笑ましい。しげ子から送られてくる茉莉の写真の、手を繋いでいる大人(しげ子?)の姿がいつも切れていて、鴎外がそれも見せろとせがんでいるところがある。写真でも妻の顔を見たいのだ。手紙はその後正倉院の御物展示の責任者で奈良に派遣され、そこでの滞在記などもある。雨が降ると展示は休みになるので、そういう時は奈良や京都を歩き回っていた。雨の日を待ちわびる様子がおかしかった。
鴎外の子供は、於菟(おと)、類(るい)、茉莉(まり)、杏奴(あんぬ)などが有名で、特に於菟は高名な解剖学者で、私たちも於菟の教科書で学んだ。類以下の子供たちは皆文筆家や画家として知られる。
ところでこの本は昭和13年12月発行の岩波文庫である。古い本で読んでいるうちに表紙がとれてしまった。そこには(写真真ん中)父の字で・・・石家荘にて 昭和十四年四月十七日 市川達雄・・・・ と達筆で記してある。父は、この頃宣撫班で石家荘に行っていた。そしてもう一枚めくると、・・・・古玩と言ふても彷造と思はず 大明時代の文化の発達よ。宋宗の質素さよ。・・・・と記してあった。父は、中国から、明の陶磁器を何点か持ち帰った。しかし、東京に帰って、駅の赤帽にトランクを投げられて、皆粉々に砕けてしまったと口惜しがっていた。 2022.12.25 院長ブログ クチナシの絵 の花瓶が残ったその1点です。