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徒然なるままに 61. チッソと水俣病の歴史 その1  硫安とカルシウム・カーバイド

2024年6月10日

石牟礼道子の苦界浄土を読んだので、その解説を加えます。初めにお断りしますが、私の見解は全く基礎資料がなく、本やWeb.site 上の知識と、私の勝手な思い込みで書いているので、あまり信用しないでください。   今の「新日本窒素(株)」は昔から地元(熊本県水俣市)では「チッソ」と呼ばれてきました。創業は明治時代で、今は新越化学、積水化学などと同族のグループ企業です。創業と当時から球磨川の豊富な水力発電と、不知火海沿岸の開発がせがれていて、広大な工場用地が確保できたためでした。日本の産業革命を遂行するためには、農業生産量の飛躍が期待されました。チッソ肥料の確保が急務で、その手始めに硫酸アンモニウム(NH4)2SO4(硫安)を大量に生産しました。硫安の原料の窒素(N)は大気の3/4 を占めるほど、地球上にはいくらでもあります。しかし、窒素を化学物質に固定することができるのは、一部の微生物(例えばマメ科植物に寄生する根瘤バクテリア)しかありません。より多くの窒素化合物を化学合成できるようになったのは明治期以降でした。

産業構造の話です。第2次世界大戦以前の化学工業の主役は石炭化学でした。炭鉱から掘り出された石炭はコークスにされます。コークスはただの炭素(C)で、水素を含みません。いま、地球温暖化で石炭発電が問題になっているのは、石炭には炭素しか含まれていないのに対して、石油・天然ガスには炭素と水素(H)が含まれています。同じエネルギーを得るのには、石炭の方が沢山CO2を排出します。化学合成するにしても、石油・天然ガスの方が有利です。そのような理由から戦後はエネルギー、化学製造とも石油、天然ガスにシフトしていきました。

創業当初のチッソ(株)は硫安を製造していました。硫安の原料はアンモニア(NH3)と硫酸です。アンモニアの製法は、まずコークスを不完全燃焼した一酸化炭素(CO)を水(H2O)と反応させて、水素(H2)を得ます。【フィシャー・トロプシュ(FT法) 】【水素は水の電気分解でも得られますが、FT法の方が簡単です。水素は意外と単純な方法で得られます。例えば、製鉄所で鉄を冷やすために使う冷却水が、真っ赤に熱した鉄の塊に誤って大量にかかると、水H2Oが分解して、水素H2と酸素O2が発生します。さらに、鉄の熱で引火して大爆発を起こします。 福島第1原発でもメルトダウンした原子炉が過熱して冷却水に触れ、水素爆発して建屋の屋根が吹っ飛びました】   次に、水素と空気中の窒素を鉄の触媒下で反応させてアンモニアを得ます。アンモニアは化学工業では重要な物質です。アンモニアガスは強い刺激臭を持つ気体で、強い還元性を持ち設計図などの図面の青写真の作成に利用されます。

先ほども書きましたが、窒素(N2)は大気中に無尽蔵にあるので原料代はただです。水素と窒素から、鉄を含む溶媒下で容易にアンモニアができます。  硫酸は硫黄を燃やしてして亜硫酸(亜硫酸)得ます。亜硫酸を酸化バナジウムの触媒化で酸化し、できた三酸化硫黄を水に溶かせば硫酸になります。  硫酸とアンモニアを混ぜれば硫酸アンモニウムができます。重要な窒素肥料であり、硫安の出現で日本の農業生産量は飛躍的に伸びました。昭和初までチッソ(株)の主要産物は硫安でした。この頃までは、チッソが起こす大きな公害はありませんでした。

昭和に入って日本の有機化学工業は大きな転換点を迎えました。現在身の回りにある有機化学物質のほとんどが、石油からできているといわれます。樹脂、食品、香料、洗剤、各種溶媒、薬品、線量、塗料、接着剤・・・・ これらの化学物質の大元になるのはアセトアルデヒドです。チッソではこの頃から硫安の生産量が減り、アセトアルデヒドをの生産量が増えていき、それを契機に水俣病が発生し始めました。  アセトアルデヒドの原料を遡っていくと、①アセトアルデヒドCH3-CHO←②アセチレンC2H2←③カルシウム・カーバイドCaC2←④生石灰Cao+炭素Cです。原料からたどります。石灰岩を加熱すると生石灰CaOができます。(ちなみに、生石灰に水を加えると、発熱して消石灰Ca(OH)2 になります)   炭素Cの純粋物は黒鉛ともカーボングラファイトとも呼ばれ、コークスから生成されます。  生石灰CaOとコークスを混ぜて炭素電極の電気炉で加熱すると、カルシウムと炭素が結合してカルシウム・カーバイドCaC2 ができます。苦海浄土でよく出てくるカーバイドはこのカルシウム・カーバイドです。カーバイドは炭素を加えた、炭素をくっ付けた、という意味です。チッソでは昭和7年ごろからカルシウム・カーバイドを作り始めました。会社名はチッソでも、硫安は他の企業に任せ?て、熊本ではアセトアルデヒド製造に比重を置いていきました。それに伴い、有機水銀の廃棄量が増えました。

カルシウム・カーバイドに水を加えると、アセチレン・ガスが生じます。アセチレンから水銀Hg触媒下でアセトアルデヒドを作ります。このとき、アセトアルデヒド製造の排水の中に、有機(メチル)水銀が含まれています。諸外国では水銀を含んだ汚染水は、水銀を除去して川に流しました。しかし、水俣では汚染水は結果的に海に流れ、魚介類に取り込まれました。有機水銀を含んだ魚をヒトやネコが食べ、水俣病になり死んだり不具になったりしました。妊婦の体内に入った有機水銀は、胎盤から胎児に入り胎児水俣病を発症させました。水俣病が社会問題になったのは昭和30年代後半ですから、30年間以上不知火海は汚染され続けられました。

当時、アセチレンからアセトアルデヒドを製造する際はどうしても水銀触媒が必要でした。昭和40年代に入って水銀触媒を使わずに、石油、天然ガスに含まれるエチレンからアセトアルデヒドを作る方法が普及しました。この頃から有機化学工業は、石炭化学から石油化学にシフトしていきました。現在、ほとんどの有機化学物質の原料になるアセトアルデヒドは、エチレンから作るので水銀の関与なしに製造されています。水俣病は、日本の富国強兵政策、欧米に追いつけ追い越せ政策、日本の産業や生活が欧米化を目指した・・・・、その結果でした。水俣病の発生は、チッソや国の責任にとどまらず、進化した文明を享受してきた国民全てが負わなければいけません。公害は時代の落とし子なのです。   (良い言葉が見つからなくて、「落とし子」としました。「申し子」は良い意味で「神仏から授かった子」ですが、「落とし子」は、「戦争の落とし子」という表現があります。どなたか、適切な表現を知っていますか?)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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