浅川ダムと台風9号の大水害  2. | 市川内科医院のブログ│実験室

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浅川ダムと台風9号の大水害  2.

2024年7月6日

前回の、続きです。写真撮影地点雄地図を提示します。今回のブログの写真は  地図の番号19.20.21.22と写真が一致します。右の赤線が2019.10.12、千曲川大洪水の浸水池である。

 

 

地図で浅川中下流部を紹介します。

19.20.21.22 写真は長野市稲田です。ここは、交通の要所です。

19.  以前はこの辺りは天井川であったが、今は河床を掘り込んで、周囲の平坦部より下を浅川が流れている。

20.  19.の場所から50m 程南に下がった地点の写真。3本の鉄道が交差する珍しい場所である。上段は新幹線橋脚、中段は長野電鉄線、最下段(左下にちょっと鉄道施設が見える)はしなの鉄道(旧・信越線)である。新幹線は、長野ー飯山、長野電鉄は信濃吉田―朝陽(複線)、しなの鉄道は北長野ー豊野である。  新幹線のコンクリートの橋脚の先に石垣積みの土塁が見えるが、これは昔の浅川天井川の堤防である。むかし、浅川が天井川であったレガシーがここだけ残っている。

21.  土手の上を走る長野電鉄線。右方向、朝陽駅に向かって緩い下り坂になる。私は高校の頃この路線を通学していた。38豪雪の時朝陽駅から緩い上り坂を走って来た電車が、大雪とラッシュで重量が課題になり電車が立ち往生してしまった。一旦、朝陽駅まで引き返して勢いをつけ、この坂を登り切ったことを思い出す。

22.  最下段はしなの鉄道(旧信越線)である。しなの鉄道線と長野電鉄線は昔と変わらない。変わったのは、新幹線と天井川であった浅川の流れである。

 

 

 

浅川は、最下流部にさしかかる。

23.  上流方向を望む。左の樋門のある川が浅川本流、にごは豊野町芳香から流れ込む隈取川。浅川本流部の樋門は地区奈川本流の水位が上がって、浅川方向に流れ込むのを防いでいる。

24.  浅川は深く掘り込んである。正面の跨線橋の下が、新幹線車両基地である。台風19号の水害の時は、そのあたりの浸水水位が一番深かった。新幹線本線の方が橋脚の分だけ高かったので、洪水時新幹線を基地の低地に終結せず、本線上に残した方が被害が少なかったのではなかったか?話題になった現場である。

25.  26.   この辺りまで下ると水流は殆どない。

 

 

2019.10.12 の千曲川大洪水の時の、堤防決壊の地図である。緑の線が千曲川と松川の堤防である。津野で堤防が決壊して、ここから洪水が上流部・下流部に流れ込んだ。決壊地点で川幅が微妙に狭まっているのが分かる。堤防がここで津野集落を避けるように右方向に屈曲している。悪いことに、堤防決壊直前、右岸の松川の流れが松川堤防を乗り越えて、千曲川本流を横断するように水位を高めた。結果市当たりの、千曲川河川敷か果樹園のマークで埋め尽くされている。もしかしたら、リンボ畑が水流を妨げた可能性はなかっただろうか?

決壊の直前、千曲川の本流は決壊地点を横断するように、水が盛り上がった。10月13日午前01時、堤防の高さを乗り越えた川水が堤防外にこぼれだして(越水)、滝のように堤防外に落下した。清流が堤防の外壁をえぐり取って、徐々に傷を広げてついに決壊したのである。堤防の決壊は、河川敷内の濁流が内側の堤防を削り取ることもあるが、上記の理由で決壊することも多い。決壊後も千曲川の数位は高いままで、大量の氾濫水が堤防外に流れ出た。

千曲川堤防が決壊した時点では、浅川の内水氾濫は起きていなかったらしい。次に、台風19号の経路を示し、台風の経路と雨、風の強さについて考える。

 

 

図中の数字は、日時を表す。例えば、101206Zは、10月12日06時を表す。台風(低気圧)の風は、中心の周りを反時計回転に吹く。台風が真北に進んだ場合、進行方向の向かって右側では南回りの風が吹き、加えて台風本体が北に進むための南風が加わるので、雨、風 ともに強まる。10月11日18時まで台風は北北西に進み、長野県の東部は台風進行方向の右半円に入り、雨風ともに強かった。この頃は東信山塊の降水量が最大であった。その後、台風は偏西風に乗りスピードを上げて、東向きに進んだ。日付けが変わってからは、長野県東部でも降水量は急速に減少した。しかし千曲川上流部で降った雨は時間をかけて流れ下ったため、善光寺平の千曲川水量の減少は遅れた。

最後に、江戸時代に起きた千曲川大洪水は 1.戌の満水 1,742年(寛保⒉年)、 2. 善光寺地震犀川せき止め決壊  1,847年(弘化年)  である。

まとめ  千曲川決壊と洪水の規模があまりにも大規模であったため、浅川ダムの存在と内水氾濫予防効果が、検証されずに現在に至っている。千曲川堤防決壊直前に内水氾濫は起きていたのだろうか?  結果的ではあるが、浅川ダムの建設費を全部の千曲川堤防の強化に回せは、今回の大被害は防がれたかもしれない。このことをある方に話したら、千曲川堤防の強化は国の建設省管轄だし、浅川ダム建設は長野県管轄だから、お互いに無関係だそうだ。縦割り政策の被害である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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