私の本の読み方 33. 丹波哲郎
2024年10月24日
「丹波哲郎 見事な生涯」 野村進著 霊界だの前世、来世だのの嘘っぱちを暴いてやろうとこの本を読みました。この本で丹波が優れた俳優で、人間的にも優れている事が書いてあり、そのことは素晴らしいことだ思います。 本文だけで 443 pもあるハードカバーでしたが、「来世」研究、映画「大霊界」、「来生研究会」の話があまりに嘘っぽくて、途中で読むのを止めました。丹波がこの様な超常世界にのめり込んだのは、丹波が「臆病な性格」だったからではないかと感じました。
丹波は身内の死を契機に霊界にはまり込んでいきました。丹波は死を非常に怖がったのではないでしょうか? 解決策は死後の世界を想像して、その世界は楽しいものだと思い込むことにしたのではないでしょうか。 来世を信じ世界中の文献を探しまくりました。そして来世は苦しいものではなく、バラ色の世界が広がると確信しました。最終的には映画を企画し、来世研究会を立ち上げて、全国から会員を集めました。会員の中には医師や僧侶もいました。自分が行って見てきた体験がない大霊界を、文献や想像で作り上げて、それを講演会で実しやかに話すのは良い度胸だなあ。
私は科学的にものを考えるたちなので、丹波の思考には付いていけません。死は単に生命の終了現象です。死んだら何も残らず、あっけらかんとしたものです。夜寝ついたら全く夢も見ず、朝目覚めないようなものだと思っています。過去に全身麻酔を2回受けましたが、麻酔がかかった瞬間すとんと眠りに落ち、麻酔が切れて目が覚めたときの気持ちを思い出します。死は麻酔がかかったままの状態だと思えば、死をそれ程恐れる必要はないと感じます。
超常現象、幽霊、霊魂の存在、私は信じないから、怖いものだとは思いません。存在を信じていたら、誰もいない山の中で一人でテントを張って寝る、などと言うことは出来っこないです。超常現象は存在しないのです。あの世の存在を信じている人は、私の説に反論するでしょう。「今は科学的に証明できないけれど、科学が進歩したら絶対に証明できる」という人もいるでしょうか。もし将来あの世の存在が証明されたとしても、それまで私は生きていないでしょう。うんと先に証明できたとして、その時私は死んでいます。仮に人間に霊魂があるとしても、来世の誰かに乗り移ってなんかいるはずはないから、そんな先のことは分かません。
実存主義ってその様ななものだと思います。サルトルは宗教を信じなかったそうですが、私は共感します。私は曹洞宗の(不真面目な)信徒ですが、仏教は哲学、倫理学、数学(仏教ではゼロと無限大が説かれている)などの総合学問だと思っています。
私は最近、 (身近な医学を説く本を含めて) この手の本を読むのは、新しい知識を得るためではなく、あら捜しをするために読む傾向が大です。著者の方、御免なさい。