新聞を読んで 22. 週刊誌の見出し広告
2025年1月23日
週刊誌の見出し広告を見るのが趣味です。時々、懐かしい人物に関する記載が有ったりして、「まだ生きていたんだあ!」と驚いたりします。本文を実名入りで書きこむと、後で検索されてバズられるので、写真の記事でぼかします。記事の内容はK栄養大学の副学長さん(K先生)の自説らしいけれど、こういった話は嘘ではないけど、かなりハッタリもあると思うので、話は半分で読むと良いです。それより、K先生に関しては面白い話があるので、検索エンジンにひっかからないように内容をぼかして、以下記載します。
話しは、昭和44年頃、所は私が通っていた田舎の大学の医学部の話です。当時の教授人事は中央のT大の教授連が握っていました。今でもそうですがT大は国の中枢の人脈と繋がっていて、有名人の縁戚関係の大物が、我が田舎大学の教授になって赴任することが良くありました。件(くだん)のK教授もそんな訳で、我が田舎の大学の教授になってやってきました。赴任して1年ほど経ったとき、「私が教授になった暁には、今いるS助教授は病気があるという理由で辞めてもらうから、私の腹心の部下をつれてきて良い」と言う教授会の暗黙の了解があったが、どうなったか?と、教授会で発言されました。その席で、S助教授の主治医のN教授が、S助教授の病名をばらしてしまったのです。怒ったのはS助教授と、大学の助教授、講師会の面々です。それに、私たち学生も加わって医学部の医師と学生のストライキになりました。学内にバリケードを築いて一部の学生が立てこもりました。授業ボイコットは半年ほど続きました。これがきっかけになって、研修医の入局ボイコットに発展し、私たちは卒業して医者にはなったけど、臨床教室の研修をボイコットしていて、私が入局したのは2年ほど後のことでした。
このいざこざで、K教授、N教授は退官して松本を去りました。その後、K 先生はどんな人生を歩まれたか知りませんが、今になってしまえば「大山鳴動して鼠一匹」ですね。(こんなところでK 副学長の名前が出てきてびっくりしました。)