361 新聞を読んで 41 成人式 卒業式
2026年1月18日

新聞の投書欄です。私も成人式は出ませんでした。敢えて言えば、ああいう改まった式は苦手だからです。その頃私は、松本に住んでいました。松本駅の西の下宿屋でした。姉が嫁いだ家が、松本の中心部にありました。20歳の春休みに自動車免許を取ったのですが、自動車学校は実家のある中野でした。免許証を貰いに松本から中野に行くのも面倒だったので、住民票を姉の家に移しておきました。成人式の通知は、中野市からも松本市からも来ませんでした。もしかしたら松本市から姉の住所に成人式の招待所状が届いていたかも知れないけど、とにかく成人式は出ませんでした。
小中学校は義務教育だったので卒業式は出ました。よく、「卒業式は感激して泣く人が多い」と聞きますが、私は何の感激もありませんでした。小学校時代、一人の男児がいて、彼は私に優位性を訴えたくて、いろいろ突っかかってきました。彼には酷く苛められていたので、中学に入って別のクラスになれば苛められないと思うと、むしろ晴れ晴れとした気持ちでした。中学生になって、その子とは別のクラスになり、ほっとしました。別のクラスになったにもかかわらず、その子の方から無理に付き合わされましたが、中2の頃から彼の方から遠ざかっていきました。 中学のクラスメートとは生活感が違いすぎ、常時疎外感の中で過ごしました。そのような訳で、中学の卒業式も開放感に溢れる思いでした。 高校に入ってクラブ活動に没頭し、 級友との付き合いは疎遠でしたが、部活仲間とは大人の付き合いがあり、先輩も優しくて、高校生活を謳歌しました。
高校の卒業式は出席しませんでした。1月末から3月いっぱいまで、受験期間じゅう東京の姉の下宿で勉強していました。(今のように)、新幹線が無かったので、東京ー長野の移動は一日仕事でした。大学はすべて不合格で、卒業式のあと予備校の入試があったので、長野には帰りませんでした。試験が全部済んで、長野の高校の担任の家に卒業証書を貰いに行ったら、担任に叱られました。「お前以外は全員卒業式に出たし、出れなかった生徒も親が貰いに来たよ」と。卒業式にも出席せずに勉強したおかげで、希望の予備校に入れました。
大学の卒業式は出たような、でなかったような・・・。丁度、大学紛争と青医連闘争の真っ最中で、正式な卒業式はありませんでした。大学本部の狭い講堂で、学部長から卒業証書を貰いました。卒業制以外参列者は誰もいませんでした。卒業式の後、医学部棟地下の狭いロッカールームで、今後の身の振り方を皆で話し合いました。卒業しても入局ボイコットしていたので、先行き不安でした。それより、その先すぐに受ける医師国家試験のことが気になって、落ち着きませんでした。
この頃の、医師国家試験は通すための試験だったので、医学部の卒業試験さえ通れば、楽勝と言われていました。実際にそうだったのですが、私は大失敗しました。新潟の試験会場で、午前の筆記試験のあと午後の口頭試問に臨んだのですが、口頭試問の順番が来た時、受験票を失くたことに気付いたのです。その時の厚生省官僚の試験官が私の顔を覚えていて、顔パスで私を試験場に入れてくれたので、無事口頭試問はパスしました。今なら、絶対に有り得ないことでした。私は、ADHDなので、時々このような支敗をやらかします。





















