徒然なるままに 7. 旅と山のトラブル(その 1 ) | 市川内科医院のブログ│実験室

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徒然なるままに 7. 旅と山のトラブル(その 1 )

2023年3月13日

1. 緊張、低温、疲労:2003年8月15日から16日 このころ長男(滋彦)は沢登りにはまり込んでいて、ザイルパートナーに私を引っ張り出すことが何度かあった。特に新潟県の下田(しただ).川内(かわち)山塊にはよく付き合わされた。その中で、一番記憶に残っているのが新潟県川内山塊、早出川水系、杉川の沢登りである。前日の夕方、登山口でテントを張った。早朝に新潟ナンバーの車で来た釣り師がテント脇を通り過ぎて行った。私たち(私と長男)も慌てて起きて出発した(AM6時)。空は晴れていたが、いつもの沢登りの朝とは違って、空気はひんやりしていた。

入渓地の逢塞(おおそこ)川出会いまでの2kmは左岸のゼンマイ道(ゼンマイ採りに通る道)を辿り、出会いで入渓した。逢塞側の川水は生ぬるくて、これから辿る杉川の水の冷たさは想像できなかった。杉川本流に入ると水は冷たく、谷は狭まったゴルジュだった。両脇は切り立っており、川面は深いトロになっていた。トロの中はゆっくり水が流れており、そこは深くて足がつかない。私たちは岩壁をヘツりながら進んだ。ザックの中の荷物は50Lのゴミ袋2枚に包まれており、ザックは浮き輪(あるいは、ライフジャケット)代わりになる。

約500mほど進んだ大岩の上で、朝方テント脇を通り過ぎた2人の釣り師がイワナを釣っていた。釣りの掟では、先に入渓した釣り師を追い越すことはできない。私たちは沢登りであることを話して、「先に行かせてくれ」と頼んだが、釣り師の掟を盾に通過を許して貰えなかった。再度、頼み込んでようやく通過させて貰ったが、冷や汗ものであった。少し進むと、トロの壁をヘツるゴルジが現れた。水流が激しすぎて遡上できず、水から上がって右岸の急崖をヘツった。滋彦は難なく通過したが、私は足が滑ってトロに落下してしまった。滋彦にザイル(お助け紐)で引っ張り上げて貰った。水の中でバシャバシャやっていたら、下流の釣り師たちが「まだあんなことをやっている」とばかり睨みつけていた。そこからは疲れていたが、ゆっくり休む間もなく先を急いだ。トロを泳ぎ滝を登る、体が冷える・・・、その連続だ。いつ釣り師に追い付かれるか、考えると気が急いて休憩もままならない。

急流は滋彦に引っ張り上げて貰いながら、先を急いだ。4時間ほど登って、もう釣り人に追い着かれる心配がなくなった瀬で、岸に上がって休憩した。寒くて体がぶるぶる震えて、歯の根が合わない。その先、沢の左右から合流する支沢を一つずつ確かめながら、先を急いだ。お昼ごろになって,漸く落ち着いてきた。それでも、全身が水に浸かる様なトロや滝が時々現われ、午後3時45分、やっと幕営できる場所に着いた。滋彦はイワナを釣りに上流に上がっていった。私は濡れた服を乾かしながら、流木を集めた。燃えやすい小枝に火をつけてそのあと大木を燃やし、焚火はだんだん大きくなった。飯も炊きあがったころ、漸く震えが止まった。

滋彦は夕方になって、中ぐらいのイワナを4匹釣り帰ってきた。イワナを根曲がり竹に刺して、遠火でじっくり焼きながら夕ご飯を食べた。焼きあがったイワナはことさら美味であった。翌朝は薄曇りだったが気温は低かった。滋彦はイワナを釣りながら遡上し、私は後を付いていった。滋彦は最大27.5cmの大イワナも釣り上げた。2時間半ほど登って、大きな滝に阻まれ引き返した。テントを回収して、あとは下るだけだ。「これで無事、家に帰れる」と安心したが、それは大間違いであった。

下りは、瀬は歩き、トロは泳ぎ、滝は滝つぼに飛び込んだ。歩き始めてすぐに小さな滝があり、滝上から滝つぼにダイビングした。滝つぼは足が立たず、頭まで水に浸かった。その先のトロは、水流に任せてただ浮かんでいるだけで良いが、水は冷たく体力が奪われた。登ってきたときはそれほど感じなかったが、下りは下りで結構きつかった。寒さのため足が前に出ない。トロでは体の震えが止まらない。滋彦はといえば、ポカリポカリ水に浮んで楽しそうだ。ヨロヨロ歩く私の姿の、あまりの痛ましさに、滋彦が私の荷物の一部を持ってくれた。

私は水流沿いの川下りが怖くなって、右岸にあるかも知れないゼンマイ道の通過をを提唱した。滋彦は「今は使われていないようなので、やめた方良い」と言ったが、私が無理に頼んで左岸の崖をゼンマイ道を目指して登った。たどり着いたゼンマイ道は不明瞭で、しばらく歩いたらスラブに阻まれ通行不能だった。仕方なく再び斜面を下り、杉川沿いの川下りコースをたどった。寒さと疲労でメロメロになって降ったが、疲れていてあとで思い出してみても何も覚えていない。昼過ぎて雨が降り出し、下り始めて約6時間で入渓地点にたどり着いた。「やれやれ」と感じたのだが、そこからがいけなかった。ゼンマイ道をよろよろ歩いていて転倒して、あわや崖から落ちそうになった。滋彦があたりの灌木を切って杖を作ってくれ、私の荷物を全部持ってくれた。雨が強くなって来た中、夕方遅くなって漸く車に辿り着き、ヒーターをガンガンに効かせて家に帰りついた。

翌日は仕事があったので、ビバークするわけにはいかなかった。たとえビバークしたとしても、全身濡れネズミでツェルト一枚の低温下では、低体温症が重症化することもあり得る。こんな辛い山行は後にも先にも初めてだった。これに懲りもせず、1995年に足くびを捻挫して断念した南アルプスの池口沢に、1997に再挑戦した懲りない親子なのである。池口沢のことは、あとで書きます。

(参考)  山の用語解説します。出典は「田部井淳子著 山の単語帳」1650円です。この本の写真は栗田貞多男 私も一枚だけ写真を提供しています。今でも買えます。  ゴルジュ:gorge フランス語で「喉」を意味し、谷の両岸が狭まった場所。  トロ:瀞  沢で深いけども流れが緩やかな部分  ヘツる:沢登りで水際の岩壁にへばり付いて横向きになって進むこと。   スラブ:傾斜が30度から60度の間くらいの凹凸が少ない一枚岩のこと。指を引っ掛けるホールドに乏しいので登るのにバランスが要る。

2. 池口川沢リベンジ:2002年8月14日  昼食を食べてから山の用意をしたが、中野を出発したのは午後3時を過ぎてしまった。(滋彦と山に行くときは、出発はいつも遅くなる) さらに、高速道で渋滞に会い、南信濃村(現飯田市)池口集落に着いたのは夜8時半を過ぎていた。入渓点に少しでも近づこうと、右岸沿いの崖っぷちに付けられた狭い林道を進んだ。滋彦は軽トラがやっと通れるような狭い道を、かなりのスピードでどんどん上がっていく。谷側のタイヤが半分はみ出すような狭い道だったが、無事その林道を突破するまでは肝(きも)を冷やした。

池口川はこれまで登った新潟県の笠堀・下田山塊の渓流よりゴルジュは少ないが、高度差があるので滝が多い。登行高度差は水流沿いに1,250m、その先は草着きの急斜面400mの登行を強いられる。入渓して2時間ほどで沢らしくなってきた。いくつかの滝やゴルジュを過ぎたころ、雨が降ってきた。3時間半ほど登ると小さな滝があり、左岸に取り付いた。滋彦は簡単に突破したが、私は岩場で足を滑らせて滝つぼに落下してしまった。生憎、水面下に大きな岩が隠れていて、私はその岩で左足首を捻挫してしまった。行程では登りだけでもあと8時間ほどかかそうで、この痛さではとても登れそうにない。天気も悪いので、今回は登攀を断念した。滋彦は登りたがったが、私の状態を説明して漸く納得してもらった。

2004.8.13 ~15 リベンジは2年後のお盆休みであった。今回は左岸から入渓した。山頂まで標高差1,650mもある。天気は良く、この沢は勝手を知っているので快調に飛ばした。前回断念した滝は気付かずに通り過ぎてしまった。2ヶ所あるトロも無事通過し、連続する滝も突破して、どんどん高度を稼いだ。ただ、私は相変わらず滑落が多く、大事にはならなかったが3回ほど滝つぼに落ちた。お昼ごろ標高1,250mのテント場に着いた。目の前に大滝が立ちふさがり、その水音があたりを轟かせている。私が昼寝をしている間、滋彦はイワナ釣りをしたが釣果は無かった。

翌朝、沢音がうるさくて目覚ましアラームが聞こえず、寝過ごしてしまった。大滝はとても手に負えそうになく、右岸を高巻きして通過した。その先は小滝が所どころにあったが、難しい所もなくどんどん標高を稼いだ。出発して3時間半で源頭に着いた。ここで水を補給した。そこからは沢は開けたが、その分傾斜はきつくなった。斜面は灌木も生えていなくて登りやすいのだが、急傾斜のスラブが現れて尾根に逃げた。尾根は一面、ニホンシカの食害による笹原で、獣道が無数についていた。お昼ごろ池口山山頂に着いた。

夜中に雨が降り出し、狭いツェルトの中で背中が濡れた。起床、朝食のあと、大急ぎでツェルトを回収して出発した。今日は尾根伝いの一般道を下るだけだが、あいにくの強い雨で難儀した。出発して4時間半で登山口にたどり着いた。このころ、雨が上がっていたが全身ズブ濡れであった。沢で頭の先まで水に浸かっておいて全身ブブ濡れもないが、漸く登山が終わってほっとした。

高巻き:沢登りで滝を直登せずに岸側を迂回して登ること。   獣道:鹿などの獣が通った跡にできる道   リベンジ:再挑戦のこと。むかし、ルービック(一面に9個)にリベンジ(一面16個)がありました。私はできましたよ。(関係ないか?)

3. 雪崩との遭遇:山スキーをやっていてごく小規模の表層雪崩は何度か経験したが、記憶に残る雪崩は2回経験した。ここではそこで経験し、気付いた注意点を書こうと思う。その前に、表層雪崩を起こしやすい「霜ザラメ雪」のことを書く。厚く積み重なった雪の層の中に、霜ザラメ雪の層が含まれていると、そこが弱層になって表層雪崩を起こすことがある。 2006年は4月下旬になって寒の戻りがあり、21日は山では雪が降った。2006.4.21 私は単独で新潟県入広瀬村の守門岳東峰(1,527m)に山スキーで登った。頂上直下は斜度40度ほどの大斜面だった。直登できなかったのでジグザグを切って登った。つまり、斜め登高、キックターン、斜め登高、キックターンの繰り返しだ。ところが頂上に近づくにつれてすごく登りにくいのだ。スキーの裏にはシールが貼ってあり、普通の雪なら20度ぐらいの斜度なら難なく登れる。それが、一歩足を前に出しそれに体重をかけると、ズリッと後ずさりする。体重をかけたとき足元の雪がしっかり締まらず、積雪ごと崩れ落ちる感覚であった。手で足元の雪を掬ってみると、霰(あられ)と針状結晶の氷でできていた。後で、気付いたがこれが「霜ザラメ雪」だったのだ。この時は苦労しながらも無事に登頂し、頂上でシールを外して大滑降を楽しんだ。この感覚に気付いいたらすぐ引き返すべきであった。

2,007.4.15 北アルプス後立山連峰針ノ木岳(2,820)m この時も単独で、山スキーで登った。前日、大沢小屋の手前でテントを張った。早朝、私のテントの脇を2人の登山者が山スキーで通り、私は彼らと少し話した。「針ノ木雪渓からマヤクボ沢に入り、針ノ木岳を目指す」と言う。私も、そのコースを登ることにした。40分遅れで私も登高を始めた。針ノ木雪渓からマヤクボ沢に入り、広い大斜面を登った。取り付きの傾斜はきつく、いったん緩斜面になって再び急斜面になった。2,400mから上部は前年、守門岳東峰で経験したずり落ちる雪質(つまり、霜ザラメ雪)だった。ここで気付いたのだから止めた方が良かったのたのだが、「まだ行ける!」とばかり登りだした。その時である。私の左(南側)の急斜面を、かなりのスピードで大きな雪崩が通り過ぎて行った。「ここは危ないなあ!」なんてのんびり考えたが、頂上が目の前の見えているのだから、どうしても登りたかった。さらに100mほど登って危険を感じたので引き返した。

急斜面を雪崩を起こすこともなく滑降し、出会いまで滑ってきたら、ヘリコプターが遠ざかって行くところだった。側(そば)にいた人に聞くと「先ほどの雪崩で登山者2人が巻きこまれた。2人とも足を骨折したが、話もでき命に別状はない」という。さらに詳しく聞くと「2人は急斜面で雪崩に巻き込まれて雪の中に没した。流されているうちに、緩斜面になった所で雪の上に出た。そこから再び急斜面を流されたが、雪の中に没することは無かった」そうだ。この沢は氷河地形のカールのあとである。最高部で発生した雪崩は、登山者を巻き込みながらカール底に向かった。雪崩はカール底の先のモレーンを乗り越え、その時偶然に登山者が跳ね飛ばされて、空中に浮かび出たのだ。普通の沢なら雪崩が止まった時は、巻き込まれた人は雪の下だったろう。氷河地形が幸いしたのだ。そして、後で気づいたが、朝方私と話をした2人が、雪崩に巻き込まれた人のようだ。登りの最中、私の周りには数パーティーがいたが、私より上には誰もいなかったように思う。40分の時間差が彼らを高みまで登らしめていたのだろう。私の代わりに雪崩に巻き込まれてしまって可哀想だった。ただ、あの人達も怪我だけですんで本当によかった。

2010.4.25 新潟県、巻機(まきはた)山塊  単独行の 私は巻機山と割引(われめき)岳の間の小ピークにたどり着いた。2日ほど前の寒の戻りで、山は50cmほどの新雪があったようだ。この時は、春先の寒暖で出来た硬い締まった圧雪の上に、重い湿り雪が20cmほど積っていた。私が滑り始めたら、自分で雪面を切って表層雪崩を起こしてしまった。左後方から追いかけてきたので、慌てて右に逃げそこで立ち止まった。雪崩は私の左側を通り過ぎて行ったが、危ない所であった。その後私は沢を滑って、沢の終わりまでたどり着いたら、そこに人がいた。その人は、パラ・スキーでここまで降りてきたそうだ。彼は、「私はあなたが滑り降りたピークの対岸のピークにいた。たまたまビデオカメラを構えていて、貴方の後を雪崩が追いかける映像が撮れたので、後で送ってあげる」と言った。一週間ほどして DVD が届いた。

DVD  を見ると、私が斜面を横切った時2ヶ所で表層雪崩が発生し、斜面全体が下方にゆっくり移動していくのが見えた。そのうちに先端部のスピードが上がって、流れ星の様な後ろに尾を引く形になって落下していった。スピードはそれ程ではなく、私の滑るスピードと同じかそれより遅いくらいだ。私がスピードを出して滑り降りていたら、気付かなかったかもしれない。  今回の雪崩は、硬いバーンの上に重い新雪が積もり、ゆっくりずり落ちたものと考えられる。もし巻き込まれても、厚さ20cmほどの雪崩で雪に埋もれることは無かったと思う。いずれにせよ、大事にならずに済んでよかった。このころを最後に、雪崩の怖さを知り、スキー登山はやらなくなった。

(モレーン:堆積丘のこと。氷河に運ばれた土砂や石が堆積したもの。また、そうしてできた丘のこと。   パラ・スキー:足にスキーを履き、パラグライダーで空中を滑空する技術)

 

 

 

 

 

 

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