429 祇園精舎の鐘の声 その25 私が油絵を大キャンパスに描く訳
2026年5月1日

絵は学校時代に授業で描く以外、殆ど描いたことは無かった。ただ、若いころから写真をやってきたので、絵心はヒトよりあったと思う。20年以上前だった。中野市の美術界を代表する寺澤宏三郎先生から、中野市美術品取得審査委員に学識経験者枠で推薦された。先生は、当時その委員会の委員長をされていた。「市川は写真をやるし、小学生の頃勝山則夫先生(先生は美術教育の権威)に教わったから、多少は絵のことは分かるだろう」との理由だった。私はその委員会にトータル18年間在籍した。中野市に持ち込まれる種々の美術品を鑑賞するうちに、見るだけではつまらなくなり、自分でも描いてみたくなった。アマゾンから入門キットを購入し、6号キャンパスで描き始めた。その後は 8号が定番になって 25枚ほど描いた時、今描いている「中信山岳展望」の写真が大学同窓会誌の表紙写真に選ばれた。絵画が趣味の友人がその写真を見て、「いい風景だなあ!この構図で100号くらいの大きなキャンパスに描いてみたら」と言ってくれた。
長野市の画材屋に行ったら、「100号はすぐに間に合わないが、50号ならある」という。それを買ってきて、今回描いた「中信山岳展望」の反対(東方向)側を撮影した写真をモチーフにして「大地盛秋」を描いた。美術品取得審査会の先輩に見せたら、礰珉展出品を薦められた。丁度良いことに、歴民展は50号まで出品OK だそうだ。礰珉展に出したらいきなり入賞(中野市教育委員会賞)した。その後は、1年に1作 50号を描いて出品している。これまでに 4作描いて3回入賞した。入賞を逃した 1作は手直しして今年の長野県美術展に出すつもりだ。「中信山岳展望」もなんとか入賞したいと頑張っている。
縁と言うものは不思議なものである。たまたまあの時、美術品取得審査委員にならなかったら、「大地盛秋」」の写真が友人の眼に触れなければ、たまたま 50号キャンパスが画材屋にあったから・・・・・。 礰珉展を通じて地元の岺樹会の会員と懇意にになり、今回の中野市美術館構想再検討を求める市民会議の代表になった。 80歳になって、思いがけない方向に人生が進んでいく。





















