415 祇園精舎の鐘の声 その22 菊池契月の画題名の説明
2026年4月10日

以前、美術館問題「中野市の宝」(No.372)で紹介した菊池契月の大作の画題のいわれが分かったので紹介します。
左「垓下別離」 垓下は地名です。楚の項羽は名家の生まれで経済力もあり有力でしたが、傲慢で人気がありませんでした。一方、漢の劉邦は生まれは貧しかったけれど、庶民には人気がありました。楚漢戦争で大きな戦いが,垓下でありました。次第に劉邦が優位になり、項羽は追い詰められて最後は数人の部下と愛人の虞美人だけになります。その時、周りを取り囲んだ漢の軍隊が楚の歌を歌い始めます。項羽が「ああ、ついに周りは我が楚の反乱軍ばかりになってしまったのか!」と嘆いたのが、「四面楚歌」です。そして、項羽が最後の戦いに打って出ようとするときの、虞美人との別れが「垓下別離」なのです。左のうずくまっているのが虞美人、右の立っているのは項羽です。
右「福原故事」平安時代、平清盛は次第に劣勢になっていきます。最後の手段で、都を今の神戸市辺りの福原に遷(うつ)します。まだ福原が都として機能しないうちに、安徳天皇と後白河法皇の行幸が執り行われます。突然の行幸だったので随行者の宿所が足りず、一部の人は道路に座り込むありさまだった。その、ごたごたした様子です。 左が後白河法皇、後白河法皇に肩を支えられている赤い着物の子供が安徳天皇です。 この、できごとのあと源平の戦い「壇ノ浦」で、安徳天皇は序間に抱かれて入水して死にます。
こういう、大きな出来事を大作に仕上げる菊池契月の力量は大したものですね。垓下は下から見上げた構図、福原は上から俯瞰した構図と変幻自在です。





















