444 私の本 85 予備校は楽しかった - 市川内科医院のブログ│実験室市川内科医院のブログ│実験室

長野県中野市三好町1-2-10 TEL:0269-22-3366 長野電鉄長野線「信州中野」駅 徒歩6分

タイトル背景

実験室市川内科医院のブログ

▼ MENU

444 私の本 85 予備校は楽しかった

2026年6月13日

「予備校盛衰史」 小林哲夫著   なぜ高校より面白かったのか ?   私が予備校に入ったのは、昭和39年であった。当時は漸く終戦後のごたごたが収束して、余裕のある家庭の子女は大学受験を目指した。受験生のわりに大学校は限られていて、ちょっとした難関校に受かるのは、浪人生活が当たり前であった。戦中を含め約10年も回り道をしてきた若者にとって、意中の大学受験に1~2年の回り道など何でもなかった。。金のある家庭の子女は東京の予備校に入ったし、ゆとりのない家庭は自宅で勉強した。

現役時代の私は、初めから大学合格は期待していなかったが、翌年の受験の度胸を付けるために数校受験した。全滅だったので、3月下旬、帰省した。上野からの電車の中で同級生にあって、「試験どうした?」「全部落ちた」「予備校はどうする?」「これから、家に帰って考える」「それでは遅い。すぐに予備校の入試を受けなよ」「??」「予備校に入試があるの?」という訳で、帰宅して慌てて願書を取り寄せた。当時の駿台予備校の難関コースに「午前部理科」「午前部文科」「午前部総合科」があり、それぞれ 定員1,000人、250人 4クラス であった。私は総合科で、席次は910番 つまり、理科系 8クラス中、ビリの8組であた。予備校の入試にかつかつでひっかかったのだ。運が良かった!

入学後のガイダンスで、我らビリケツ・クラスに説明があって、「予備校の授業さえ受けていれば、君たちだって東大の易しい科や田舎の2期校の医学部に入れる」とおだてられた。 私は優しい私立大学医学部を目指していたが、まさか 国立大学の医学部など高根の花であった。そんな訳で、予備校は真面目に通った。授業は午前中だけだったので、昼は」下宿に帰って少し昼寝をして、予備校で習ったことを復習して早く寝た。高校時代より就寝時間は早いくらいだった。当時、現役東大合格は「4当5落」と言われていた時代である。私はのんびりしたもので、午前の授業が終われば、秋葉原や銀座、神田、新宿の繁華街をぶらついたものである。特に秋葉原の電気部品街はお気に入りで、ジャンクの真空管をあこがれを持って手に取ったものである。

毎週土曜日は模擬試験があった。この結果が席次を決めるので、何が有っても受験した。5月に姉の結婚式があったが 私は模試を受けた。まじめにやったおかげで、夏休み明けの席次は, 560番にあがった。2学期終了時の席次は250番であった。大学入試は2期の医学部にかつかつで滑り込んだ。たまたま、社会(人文地理)のテストで早退した受験生のペーパーを、試験官が手に取って見ていた。私が分からなかったところが丸見えであった。有難く、正解を書き写した。これがあって、合格した訳では無いと思う。理科系の入試の配点で、社会科などほんの僅かだろう。現に、国語の現国など模試でも入試でもいつも0点だったのだから。 そんな私が、今は無類の読書好き、ブログもこのような長文を書くようになったのだから、学生時代の不勉強を悔やんでいる人、ご安心ください。  (私の予備校時代の思い出を、読後感とさせていただきます。。この本、おもしろかったです。)

 

 

 

 

 

 

 

 

pagetop