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501 私の本 61 「沈黙の春」日本語版

2026年10月14日

「沈黙の春」レイチェル・カーソン著  青木簗一郎訳  原著は1961年、日本語版の発行はは2004年であるが、私は今頃になって読んだ。定価は2400円だから、当時としては高かったと思う、それにもかかわらず読了できなかった。本箱の片隅に積み上げてあったのを読みなおした。結論から言うと、変な本!

Rachel Carson が 原著 「Silent Spring」 を書いたのは、1962年です。 1945年に第次世界大戦が終わって、アメリカの化学工業界は次々と合成殺虫剤を開発しました。DDT, BHC, リンデン、2・4D、ダイセン やや時代が下って、有機リン系のパラチオン、マラソン・・・・etc.  中野は果樹地帯だった事と、我が家はバラや果樹が植わっていたので、私は子供のころからこれらの薬剤はよく覚えています。アメリカ本土では大々的にこれらの薬剤を散布して、昆虫や鳥や魚に重大な被害を与えていたようです。そのような中で、上記の薬剤の被害を訴える本を、終戦の 16年後(1961年)にカーソンが著しました。この本が出版されて、アメリカ中で賛否両論が渦巻きました。「カーソンの記述はオーバーすぎる」「いやいや、被害はカーソンが言うとおりだ」、 確かに被害はあったと思うのですが、カーソンが言うほどひどい被害(特に人的被害)ではなかったのではないでしょうか。カーソンは啓蒙の意味で大げさに描いたきらいがあるかもしれません。当初はカーソンの記載通りだったかも知れませんが、17年後の原著が出版された頃には、それまでの数多の反省から薬害は落ち着いてきたと思います。それにも拘わらずカーソンは「現在もその薬害は継続している」と、現在進行系で」解説しているのは気になリます。カーソンは原著が出版されて、3年後の 1964年4月に癌でなくなっています。

私が小学校に上がるころは衛生状態和悪く、クラスの女子の中には頭髪のシラミをたからせている子はたくさんいました。先生は噴霧器で石灰で嵩増やししたDDTの粉末をかけられていました。その噴霧で体を壊したと聞いたことはありませんでした。結果的に「人畜に障害を発生させるおそれあり」との見解で時期にDDTの仕様が禁止されたのが幸いでした。

原著では最終章で、薬剤を使わない害虫退治の様々な方法が記載され、現在でも中も帰されている手技が記載され、カーソンの見識には経緯を評します。

日本語版の翻訳者は青樹簗一氏です。立派な科学者だと拝察します。不思議なのは、原著が上梓されてから 40年後の2001年に日本語版が出版されたことです。原著がこれだけ話題になったにも拘わらず、どうして40年も放っておいたのでしょうか? なにか理由がありそうです。日本語版の巻末に43pにも亘る解説が載っています。不思議なことにかいせ駐車の氏名が記載されていません。解説の内容から翻訳者の青樹氏が書かれたと思うのですが、ここでははっきり私(青樹)が書いたと名乗るべきです。氏名が書けない理由が有るのでしょうか?解説の内容は非常に優れています。殺虫剤の弊害に関して事細かに解説してあって、青樹氏はこの分野でかなり高名な学者と拝察します。全部読むと殺虫剤問題の全貌がわかってとても参考になりました。

一つ気になったこと。原著でもそうだが、問題点が指摘されて今は解決された事例だったら、その経過を丁寧に書くべきところを、「まだ解決されていない」のような書き方があった。たとえが、いもち病防除に酢酸でフェノール水銀、種籾の消毒に有機水銀剤の使用に関しての記載である。水銀は無機。有機をを含め全てが  1973年に全面的に使用禁止になっったにも関わらず、日本語版の出版の 2001年でも「現在でも使われている」みたいな記載があります。カーソンも青樹も過去の事例も現在進行系で発生しているように見せかけています。

自説を吹聴するあまり、時系列を狂わせるのはいかがなものか? とかく公害問題とか医療の薬害などで、発表者が誇大な発言をしがちなのは問題です。以前の、公害問題での宇井純氏の発言、新型コロナワクチンや子宮頸がんワクチンに関する反ワクチン発言、その他枚挙にい暇がありません。引き換え、熊本水俣病告発者の石牟礼道子氏、足尾銅山鉱毒事件の田中正造氏など立派な方もおられました。

 

・・・・・続く。

 

 

 

 

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