357 ゆく河の流れ 95. 片倉多喜伝 - 市川内科医院のブログ│実験室市川内科医院のブログ│実験室

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357 ゆく河の流れ 95. 片倉多喜伝

2026年1月2日

昨年末、12/29 NHK 第1放送 新・日曜名作座 を聞いていたら、東北の鹿(しし)踊りの話が出てきて、それが伊福部昭の舞踏音楽 「日本の太鼓」八つの鹿の踊りであった。物語は、片倉多喜伝」である。多喜は伊達家の教育係で、主の正宗豊臣秀吉の囚われの身で伏見に住むんでいた。正宗の留守中に秀吉が伊達家の屋敷に偵察に訪れる。多喜は秀吉のもてなしに、正宗の側室の愛姫らが演じる陸奥の舞踏の鹿踊りを披露する。

写真は、左に4頭、右に3頭の牡鹿を従えて、愛姫が演じる牝鹿が写っている。陸奥ではこの鹿踊りはかなり知られた舞踏だったらしい。この舞踏音楽を伊福部昭が作曲し、その舞台写真が冒頭の写真である。私は、この写真をみたときこの舞踏の動画を見たかったが、これが演じられたのはかなり昔(と言っても戦後 ) なので今は叶わない。背中に旗指物を背負い鹿踊りを踊る様は、さぞかし豪壮なものであったろう。(実験室ブログ 2024.8.12 私の本の読み方 22. 伊福部昭につて 参照)   日本の太鼓は、You tube に多数 up されているので、是非見て下さい。特に伊福部喜寿祝いで演奏された、伊福部自らが指揮するライブは素晴らしい。このYou tube  では、伊福部の弟子で現代音楽の錚々たる大家らが太鼓を客演する動画は、クラシックファンには嬉しい。

 

話を片倉多喜に戻そう。愛姫の演じる鹿踊りを見て感激した秀吉は、愛姫を人質として連れ帰ってしまう。多喜は愛姫と一緒に伏見城に移ってしまう。秀吉は多喜の差異を愛し少納言と称賛したそうだ。のちに、多喜は正宗と一緒に陸奥に戻ったが、正宗の勘気をこうむり国元の白石城で蟄居を命ぜられる。

鹿踊りしし踊りと読ませているが、鹿に見立てたのだろうか?どなたか知っていますか?  私の過去のブログを探すときは、一覧左端アーカイブから入ると探しやすいです。

 

 

 

 

 

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