飯盛松 | 市川内科医院 院長のブログ│休憩室

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飯盛松

2024年11月24日

中野市大熊の飯盛松に行きました。飯森(いいもり)とは、円錐の形状をした事物を指します。ご飯を山盛りに盛った姿をしているから飯盛なのです。山の名前の飯盛山は全国にたくさんあります。富士山を小さくしたような山は、みな飯盛山と言います。

麓から息を切らして登り着いた広場は、以前は大きな松(飯盛松)が生えていました。

 

1. 登り口は延徳小学校です。壁画の絵は「大賀蓮(おおがはす)」です。大賀蓮は植物学者の大賀博士が千葉県印旛沼で2,000年前のハスの種を発見し、その種を蒔いたら発芽して、それを増やして全国の小学校に贈りました。延徳小学校絵は学校の近くの池に植えて大事にしていました。(今は、学校の敷地内の小さな池に細々と生きています。むしろ、その子供のハスが、高丘の浜津ヶ池で勢いよく生育しています)

2. 延徳小学校の脇を登ります。小学校の頃、遠足で飯盛松へ行きました。私たちが延徳小学校のそばを歩いていたら、延徳小学校の子供たちが窓から顔を出して、「中野小学校、ボロ学校」とはやし立ていました。私たちは「延徳小学校の方がボロだ」と言い返しました。当時の小学校はどこも木造の古い校舎でした。

3. ここから坂がきつくなります。

4. 明るい広葉樹林が続きます。

 

 

5. 見下ろせば大熊の集落が望めます。桜沢、大熊、北大熊はみな山手に位置します。低地の延徳田んぼは水害常襲地帯だったので、民家もお墓も山手です。

6. 飯盛松の石碑のある広場に着いきました。広場には今は大きな松はなく、代わりに若い松があちこちに生えていました。後100年もすれば、これらの松も大きくなるでしょう。

7. 石碑の横の面に、昭和10年 文部大臣指定の天然記念物と書いてあります。国の天然記念物と言えばすごいね。いま長野県内の国の天然記念物は30だから、今、飯盛松が生きていたらと思うと残念だ。飯森松は昭和40年頃枯れた。国指定の天然記念物に指定されてから、たったの30年で枯れてしまったことになる。天然記念物に指定されて、学校の遠足などで子供たちが根元を踏み荒らせば、たったの30年で大樹が枯れ死するのだ。今、各地で特別天然記念物だとか、世界遺産だとか、指定されたお祝いが開催されている。皆、地元の賑わいや観光客の増加を期待しているのだが、指定された事物にとっては迷惑なことだろう。今日も佐渡金山の世界遺産指定に関し、金山で犠牲になった労働者の慰霊法要を、とって付けたように開催し、韓国から反発されてニュースになっている。

8. 下りで  中野の平野部は開けていてすがすがしい。

 

 

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