佐渡金山
2024年10月15日
新潟市で大学の同級会をしました。翌日の excurtion は、佐渡島でした。 main は最近世界遺産になった佐渡金山です。eye catch 画像は江戸時代の初めに金鉱石を掘り出した「道遊の割戸」露頭手掘り跡です。その後、鉱石は地下採掘になりました。江戸時代、佐渡島は徳川幕府の天領で、盛んに金が採掘されました。採取された金は小判に鋳造され、江戸幕府、いや日本の経済を支えました。徳川幕府があれほど長続きしたのも、佐渡金山の支えがあってのことでした。
地下坑道が再現されています。人物は人形です。のんびりした採掘風景ですが、実際なこんな生やさしいものではなかったようです。坑道内は常に出水していて、水を汲み出す労働力が必要でした。それは最下層の労働者の仕事でした。全国から犯罪者が佐渡島に集められました。そして、江戸や大阪からは無宿人たちが連れてこられ、水汲みの重労働をしました。大店(おおだな)の若旦那でも、放蕩して親に勘当され、無宿人になれば佐渡送りでした。水汲み人夫は2〜3年で死んでいったようです。江戸や大阪の大店の次男、三男も店を出して貰えなければ、無宿人なる可能性がありました、さらに、都会には独身の男たちが全国から集まってきて、いつ無宿人になるか分からなかったのです。
佐渡金山で働く独身男性がたくさんいれば、当然、遊女たちも全国から集められてきました。全国の困窮農民の娘たちが売られて佐渡島に連れてこられました。やはり遊女たちの寿命も短かったようです。江戸時代の余剰人口は、佐渡島が受け入れていたと言えます。
江戸時代、島に来た役人が、「佐渡は酒と女は安い」と言ったとか・・・・。佐渡島には、今も造り酒屋が沢山あります。
明治に入って近代採掘時代がきました。ここは精錬所後で会社は三菱系です。太平洋戦争前、戦時中は不足する労働者を補うなうため朝鮮半島から人夫が集められました。佐渡鉱山は虐げられた人たちの歴史で成り立っています。世界遺産になったと浮かれてばかりいられないと感じました。以上、私が書いたようなことは、よほど注意していなければ未過ごしてしまうような、目立たない掲示でした。(この原稿は、 Web.site でも調べて書きました)
佐渡金山見学の後、近くの尖閣湾に行きました。「君の名は」で有名になったおもかげ橋を渡って、灯台のある小島に行きました。帰りに、日本海に没する太陽を眺めました。佐渡島で虐げられて死んでいった沢山の人たちを弔うような、真っ赤な夕焼けでした。