中野騒動を訪ねる(5)旧・山田庄左衛門家
2020年12月31日
中野市江部にあります。山田家は江戸時代初期に、幕府(天領代官所)に乞われて上伊那・高遠からこの地にやってきました。高遠藩(甲州武田家)牢人の持つ、田地開拓、治水、利水の技術が期待されたのだと思います。一方、天領で採れた米は江戸まで移送することは不可能なため、山田家は産米を金に換える役目(その一つは酒造業)も担っていました。そのようなわけで、天領代官所とは密接な関係を保っていましたが、明治になっても新政府との関係は変わりありませんでした。
そのような矢先、中野騒動が起こり、当然山田家は暴徒の標的にされました。写真真ん中の土蔵は、弘化4年の善光寺地震とそれに伴う大洪水のあと建て直されたものです。中野騒動の時は焼失せず残りました。いま、この建物は中野市山田家資料館になっています。