東江部周辺(山田家資料館3)
2022年3月26日
江戸時代末期には、耕作地の買い上げや延徳田んぼの開拓などで、山田家が小作人に作らせる米の生産量は県内でも有数の規模に増えていました。さらに、明治時代に入り政府の富国強兵政策で質地地主の所有面積はさらに拡大されました。政府は農家に多額の税をかけたため、税を払えない農民は土地を質に入れて納税しました。しかし、質草(圃場)は流れて土地は貸主の所有となったのです。このころには岳南、岳北の広い圃場が山田家の所有になりました。写真は産米を保管する米蔵です。幅6間の蔵が二つ並んでいます。中野騒動の焼き討ちの影響も去り、産米量が増えた明治時代に作られたものです。終戦後の農地解放令で。山田家は多くの耕作地を失いました。