正受庵
2019年6月30日
飯山市街地の西側の丘陵地にある臨済宗のお寺です。この建物は江戸時代の恵端禅師(正受老人)が住庵した禅室です。弘化4年の善光寺地震の際倒壊しましたが、そのご再建されました。恵端禅師は松代藩主真田信之の庶子で、故あって母の預けられた飯山城で生まれました。19才で出家して全国を行脚し、江戸では無難禅師について修行して臨済宗の高僧となられました。そして臨済宗中興の祖と謳われる白隠禅師の師匠でもあります。
2019年6月30日
飯山市街地の西側の丘陵地にある臨済宗のお寺です。この建物は江戸時代の恵端禅師(正受老人)が住庵した禅室です。弘化4年の善光寺地震の際倒壊しましたが、そのご再建されました。恵端禅師は松代藩主真田信之の庶子で、故あって母の預けられた飯山城で生まれました。19才で出家して全国を行脚し、江戸では無難禅師について修行して臨済宗の高僧となられました。そして臨済宗中興の祖と謳われる白隠禅師の師匠でもあります。