長野市田子・山千寺を歩きました
2023年4月17日
田子は北国街道沿いの古い集落です。そこから西方に位置する山千寺まで歩きました。田子から山千寺までは古い仏教遺跡が多く、辻々に石碑、石像、石仏がたくさん残っています。(右奥の車は私の車です)
田子集落から少し登ると、南北に水平に伸びる旧・長野市水道道路に出会います。水道道路は明治時代に野尻湖から長野市に水道用水を通すために作られました。同じような水道道路は、戸隠から西長野にも通っていました。いずれも今は使われていません。
その水道道路から麓を見下ろしました。真ん中の池は田子池、左が吉、右が田子の集落です。
水道道路から分かれて急坂を登ると、道々にこのような石仏が沢山並んでいました。彫り込まれた文字を読むと、何番札所とか書いてありました。昔、田子の住民が毎日お参りした石仏だと思います。
登り詰めた平坦地にお堂が建っていました。ガラス格子の中を覗くと・・・・
木造聖観音菩薩立像が安置されていました。説明文を読むと、「檜材から彫成された一木造りの像で、平安時代中期の作とされる。長く風雨に晒され全体が磨滅して木目が顕れているが、その時代の仏像の特徴をよく現している」と書いてありました。
一旦車道に下り、さらに歩くと山千寺の集落が見えてきました。山懐に抱かれた豊かな集落です。最近建設された家屋は、眺めを生かした造りになっていました。
畑のあぜ道にトウダイグサが芽生えていました。一見、ネコノメソウとよく似ていますが、ネコノメソウはユキノシタ科なのに対して、トウダイグサはトウダイグサ科です。ところで、トウダイグサ属の学名は Euphorbia で、園芸植物のハナキリンも Euphorbia です。ユーフォルビアはマダガスカル原産です。
車道を登りつめると、旧・山千寺観音堂に突き当たります。江戸時代に山千寺の丸山家が建造したと説明文に書いてありました。拝殿はかなり傷んでいて、欄干の部分は立ち入り禁止になっていました。拝殿に上がって格子戸の中を覗くと・・・・・
小さな?仏像が安置されていました。銅造観音菩薩立像で、説明文には「飛鳥時代(7世紀ごろ)に鋳造されたと思われ、県内最古の仏像とされる」とありました。
あまりに名残惜しかったので、帰りに振り返って撮影しました。かくも立派な観音堂と仏像が人知れずに放置されるのは惜しいです。善光寺と秘仏の6年に一回の御開帳みたいに、観光資源に利用されるのも、今の時代なら許されるかも・・・・
ところで地図表記では三千寺なのに、道中にある看板その他は全部山千寺です。もともとは、三千寺だったのが、いつの間にか山千寺に置き換わったのではないでしょうか。三千だとなんだか¥3,000円みたいで、「山」の方が重みがあると思ったのでしょうか? 「 ♪ 京都大原三千院・・・」ではないけど、仏教では三千は無限大の意味で、とても有り難い言葉なんだけどなあ。