東江部周辺(山田家資料館5) | 市川内科医院 院長のブログ│休憩室

長野県中野市三好町1-2-10 TEL:0269-22-3366 長野電鉄長野線「信州中野」駅 徒歩6分

タイトル背景

休憩室市川内科医院院長のブログ

▼ MENU

東江部周辺(山田家資料館5)

2022年3月29日

明治に入って国策として生糸の輸出が奨励され、それまで米作中心だった山田家の事業も変革していきました。山田家とその分家は製糸工場を経営し、横浜に事務所を置いて欧米に生糸を輸出しました。当時の日本では良質な生糸が生産されない中で、山田家の品質の良い生糸は高く買われました。日本から欧米には陶磁器の輸出も盛んで、山田家は陶磁器メーカーとも交流があったようです。山田家には井村陶器画工場製の洋風の美しい磁器(ティーカップ)が残されています。

写真は11代庄左衛門顕善が東京に滞在した際に、日本の洋画の草分けの高橋由一に描かせた肖像画です。2点あり同じ時に描かれたもので、1枚は顕善出身の分家から発見されました。高橋由一は「鮭」や「花魁」で有名な画家ですが、由一の絵が山田家から出てきたことは、大いに注目されました。

ここで一つ注目して欲しいのは、どちらの絵も羽織の紋が加賀藩前田家の、家紋の「梅鉢紋」であることです。8代庄左衛門顕済は、北国街道・牟礼宿の本陣「小川家」から山田家に養子にきた人です。江戸時代に「加賀前田家の参勤交代に効があった」との理由で小川家が梅鉢紋を付けることを許され、その紋を持ってきた顕済以降、山田家の家紋が梅鉢紋になりました。

新着情報
カテゴリー

このブログに関するご感想やご質問

▼ 診療内容
アーカイブ
pagetop