高妻山の思い出
2023年3月16日
もう一度、高妻山の話題です。 その前に、2023.3.7のブログを見て、一不動、五地蔵山、高妻山、乙妻山を覚えてください。なぜ、高妻、乙妻なんだろう? 中野から見ると一つの山体の両端に高妻山と乙妻山があり、その山容の美しさは両山とも甲乙つけ難しです。甲→こう→高→たか という説はどうでしょか? いずれにせよ、山岳修験者たちが付けた山名であることは間違えありません。
私は高校時代生物班に所属していました。3年の時の夏の合宿は4泊5日で戸隠牧場でした。私はプランクトン班だったので、この合宿では何もすることがなく、植物班(ムシトリスミレなどの高山植物の観察)や昆虫班(戸隠シジミなどの高山蝶の観察)にくっついて戸隠山や高妻山に登りました。そんな折、高妻山で幕営した早朝の感激を今でも忘れません。テントから顔を出すと、眼前に北アルプス・後立山連峰・白馬3山が峩々と聳えていました。こんな近くで、北アルプスを見たことがなかったので、本当にびっくりしました。岩と植物のコントラストがくっきりしていて、この時の感激がその後の山好きに繋がりました。
最後に、深田久弥の「日本百名山」 高妻山の項を転記して、この項を終えます。「高妻山は2353m、乙妻山は2315m。戸隠・飯縄・黒姫連山での最高峰であるのみならず、山の品格からいっても一番立派であるにも拘らず、登る人が少ない。昔はこの高妻・乙妻も戸隠の御裏山と称して、修験者が登拝した。一不動を御裏巡りの振出しとして、二釈迦、三文殊、四普賢を経て五地蔵岳(1995m)に達する。五地蔵から先は、六彌勒、七薬師、八観音、九勢至を通って、高妻山の著上には阿弥陀如来がまつってあったそうである。そこから更に、十一阿閦、十二大日を過ぎると乙妻山で、その頂上には虚空蔵菩薩があったという。」(一部、文を変えてあります。なお、日本百名山では五地蔵岳となっているが、地元では五地蔵山と呼びます。深田さん、弘法も筆の誤り・・・・)
上信越自動車道、更埴JCNの南、5kmあたりの側道から北を望みました。この光景は東京から上信越自動車道で中野に帰るとき、五里ヶ峰トンネルのあと2つの小さなトンネルを過ぎたあたりで見えます。(高速道路上の方が手前の山に邪魔されないのでよく見えます) 中野から見る高妻山に比べて格好いいですね。まるでマッターホルンみたいです。