大草稲荷
2019年4月3日
江戸時代の中野は天領で、代官所が置かれていました。しかし、江戸から遠かったため、代官がこの地を訪れることは殆どなかったようです。寛保年間、夜間瀬川の氾濫で西江部地区は甚大な被害を被りました。しかし、幕府は年貢を据え置いたため、西江部は70余年にわたって苦しみ、多くの農民が離村しました。文化年間に代官が大草政郷に替わって年貢を大幅に割り引き、村は立ち直りました。村民は政郷の神霊を五穀の神稲荷として祀りました。
2019年4月3日
江戸時代の中野は天領で、代官所が置かれていました。しかし、江戸から遠かったため、代官がこの地を訪れることは殆どなかったようです。寛保年間、夜間瀬川の氾濫で西江部地区は甚大な被害を被りました。しかし、幕府は年貢を据え置いたため、西江部は70余年にわたって苦しみ、多くの農民が離村しました。文化年間に代官が大草政郷に替わって年貢を大幅に割り引き、村は立ち直りました。村民は政郷の神霊を五穀の神稲荷として祀りました。