志賀山西面の自然
2023年7月3日
志賀高原の中心部にある信州大学自然教育園の全貌です。今の時期、全山眩しいほどの緑色ですが、広葉樹が目立ちます。ここは 旧・草津街道が通っており、人手が入りやすい地域でした。もともと、この辺りは針葉樹(クロベ、コメツガ)も生えていたのですが、山仕事をする人たちが長い間に針葉樹を伐採してきました。江戸時代ここは沓野山と呼ばれ、松代藩の御料林でした。沓野村の人が森林を管理し、立ち木を伐採することが出来ました。針葉樹は箸や木工製品に加工されました。明治に入って志賀高原は国有林として召し上げられてしまい、沓野の人たちは生活の術(すべ)を失いました。沓野村の人たちは、今の志賀高原一帯を入会地として復活されることを国に願い出て許可されました。いまは「和合会」と言う法人が、(勿論、環境庁も)志賀高原を管理しています。
松代藩と言えば佐久間象山ですが、アイディアマンの象山は沓野山での鉱山の開発や、田ノ原での稲作などを試みました。残念ながらこれらの事業はことごとく失敗ました。農民たちに報酬を払わなかったりしたので、この村では象山の評判はあまり良くなかったと聞きました。
針葉樹のことに戻りますが、熊の湯あたりまで上がると、コメツガの割合が増えクロベは消失します。さらに横手山に向かって標高を上げると、オオシラビソ(アオモリトドマツ)が出てきます。横手山山頂付近ではコメツガはほとんど消失し、オオシラビソだけになります。横手山は樹氷(スノーモンスター)で知られますが、樹氷は霧氷が成長したものです。すべての針葉樹に着いた霧氷が樹氷に成長するとは限りません。樹氷になるのは、オオシラビソに着いた霧氷だけです。コメツガに着いた霧氷は日が差すと剥がれてしまい、樹氷になりません。言い換えれば、オオシラビソは樹氷をまとうため寒冷な気象から守られて、枯れずに冬を越すのです。
地図を見ると志賀山の溶岩流が良く分かります。志賀山山頂から流れ出た溶岩流は右回りの渦巻き状です。地球の自転に伴う「コリオリの力」を示す、壮大なモデルです。地図の中心あたりの地形は複雑で、地元の人たちでさえほとんど立ち入れません。迷い込んだら出れなくなるので「お頼の申すの平」と言う地名も残っています。この辺りは、世界自然遺産です。私は残雪期に清水(地図右上1593辺り)から山頂に山スキーで登りましたが、この辺りは地形がすっきりいているので簡単でした。ただ山頂付近はすごく急で、その点では難儀しました。
志賀山の西斜面の池は、全て流れ出た溶岩が作った堰止湖です。あちこちに湿原がありますが、大昔はみな池だったと思います。自然教育園は地図の長池あたりにあります。自然教育園の公衆トイレのポストに、志賀高原のハイキング・コースの詳しいパンフレットが置いてあるので、それを貰ってくると良いです。私は、パンフレットを見て三角池(みすまいけ)まで歩きました。
長池湖畔です。長池を含めたこの辺りの湖は、入り口も出口もありません。自然にたまって自然に出ていくのに任せているのですが、今回行って見て水位がだいぶ下がっているのに驚きました。他の池は殆ど変わりないのにどうしたことでしょう。東日本大震災で地下の状態が変わってしまったのでしょうか?近年、たまに志賀高原を震源地とする小地震がありますが、その影響があるのでしょうか? ここにきて、温泉の温度が下がったり湧出量が変わった?と言うような話がありますが、誰か詳しいことを知っていますか?
上の小池です。この池は志賀草津ルートから良く見えます。静かなたたずまいです。
日陰湿原です。こういう湿原を高層湿原と言いますが、高原にあるから「高層」という訳ではありません。ミズゴケが多層に積み重なってできた湿原という訳です。
ハクサンチドリです。志賀高原の湿原には多い。
どこにでもある、レンゲツツジです。色が良いので、思わずパチッ。
オオヤマレンゲが咲いていました。葉っぱを見ると「モクレン科」だとすぐに分かります。
道は上り坂になり、針葉樹が出てきました。大岩の上にクロベの大木がありました。大岩に針葉樹が貼り付いているのをよく見かけますが、どうして岩に大木が生えるのでしょうか?根からは水だけでなく、酸素も吸収するせいでしょうか?マングローブの森の気根みたいなものでしょうか?
このような大岩は浅間山の「鬼押し出し」でも見られますが、粘調な溶岩がゆっくり流れて、冷えて固まると、このようになるのだと思います。鬼押し出しも何千年もすれば、この森のようになるのでしょうか?
パンフレットでは、「根上がり(象さん)の木」だそうです。コメツガの大木ですが、自然観察会に来ていたグループの女性が「根を伸ばしたのだけど、地面に届かなくて諦めちゃったんだねえ!」 「うまい! 座布団一枚」です。
「三角池」と書いて「みすま池」と読みます。国道はこの池を取り囲むように走っています。帰りは車道を下りました。長くなりました。お疲れさまでした。