夕方の事故
2024年5月8日
5月7日 夕方暗くなってから回覧板を回しに表に出たら、軽自動車がひっくり返っていました。医院の前の交差点(市民会館前)はよく事故が起きます。たいていは三好町(横)通りを駅に向かって走る車の信号無視です。あまり事故が多いので、この交差点は赤い舗装がされて注意を喚起していますが、夕方になるとその効果も減弱します。事故の多い理由について私の推論を述べます。三好町通りを「NTT前」から「信州中野駅」に向かう車にとって、「市民館前」の手前の信号は「郵便局前」です。そして、2つの信号の間隔は77mしかありません。郵便局前の縦(中町)通りは県道で、交通量が多いです。特に上(北)から右折で三好町通りに入る車は下(南)から直進してくる車に妨げられて、なかなか右折できません。満を持して三好町通りに入ると運転手は安心して、まさかすぐ先に交差点があるとは気付かずに車を前進させます。よしんば交差点があることに気が付いても、頭上の市民館前の信号を見落とします。 一方、市民館前の縦(西町)通りは青信号の時間が短いので、特に上(北)から走ってくる車は、スピードを出して交差点に進入します。今回の事故の責任車両はひっくり返っている車だと思います。郵便局前から(信号無視で)交差点に侵入して、上からくる車に跳ね飛ばされてひっくり返ったのでしょう。
大体、こんな狭い間隔で信号を作るからいけないのです。事故が起きやすい市役所前の信号は横通りは黄色の点滅、縦通りは赤の点滅でよいのではないでしょうか? 以前、何かの時に警察にいったけど無視されました。
信号無視を無視した車の運転手について考えてみました。一つは夕方になって三好町通りを西に進むとき、西の空が明るいので信号が見落としやすいこと。もう一つは高齢者だったとか、緑内障を患っていなかったかとか? どちらも、視野狭窄になり易く、頭上の信号を見落としやすいです。
どうして、二つの縦通りの間隔はこのように狭いのでしょうか? 以下、私の推論を述べます。それは中野の町の発展と関係があるのです。中野の町は律令時代?に夜間瀬川扇状地にできた町です。扇状地の流れは扇を逆さにしたように流れ、町並みは小河川と小河川の間に自然発生しました。その中でも⒉本の縦通り(西町通りと中町通り)は狭い台地上に自然発生した町並みでした。2つの通りの両脇に間口が狭く奥行きの長い商店が並びました。特に2本の通りに挟まれているところにある店は、お互いが背中合わせになっていました。だから、通りと通りの間隔がこのように狭いのです。
中野の町は扇状地を流れる多数の小河川(用水)にそって自然発生しました。住民は用水を利用して生活してきました。夜間瀬川が中世になって北に向かう流れに一本化された後も(この時に十三崖ができた)、扇頂部に取り入れ口を設けて、八ケ郷用水と称される用水で水が賄われてきました。中野の町は小河川を挟むように両脇に道ができ、道の外に家が建ちました。その結果「道の真ん中を川が流れる」という面白い街になりました。以前は。湯町、西町、中町、桜木町の縦通りは、真ん中を川が流れ両側に道がある構造でした。生活用水は飲み水にも洗濯にも使われました。上流で赤痢患者が出ると、その水を飲む人が赤痢になりました。今は道の真ん中の川は取り払われて一本の道になり、どちらか側を用水が流れています。冬場に大雪が降って上流で雪を流すと、下流で雪が詰まって洪水になります。八ヶ郷用水は今は用水としての価値は失われましたが、田畑を潤す大切な農業用水です。