一本木公園の碑と像
2023年11月4日
10月20日の院長ブログの続きです。そこでも話した通り、一本木公園は日本麦酒(現・朝日麦酒)ホップ乾燥工場の跡地です。「信州惣布(ほっぷ)発祥の地」と読めます。大正時代に日本でもホップの栽培が始まりました。最初はなかなか軌道に乗らず、先人は苦労しました。その中でも北信のこの地が全国に先駆けてホップの栽培を始めました。以下、敬称を略します。
非常に苦労しながら最初にホップ栽培に成功した鈴木松之助のレリーフと碑文です。
昭和に入ってもホップの栽培はあまり盛んではありませんでした。日中戦争が勃発して時の政府はポップの輸入を禁止する措置を取りました。この時、日本麦酒の山本為三郎は輸入中止の3年間猶予を願い出て、許可されました。3年の間に中野でホップの自給が達成されました。
黒岩喜久雄の顕彰碑です。黒岩は須坂市の自宅でバラを多品種栽培し、そのコレクションを移植するところを考えていました。たまたまこの地のホップ栽培は衰退していました。(昭和34年頃あった伊勢湾台風、その前後頃、長野県を縦断した風台風で、ホップ栽培の支柱がのき並み倒れた。さらに、輸入物のホップの方が安価で質が良かった為) 当時、ここはただの公園になっていました。これに目を付けた黒岩は、中野市と協力してこの地をバラ公園にしました。その後、徐々に栽培品種数を増やして、今の規模に拡大しました。その後、公園の南半分をイングリッシュ・ガーデンにしました。
前回も書きました旧・中野尋常小学校の校舎です。
菊池一雄作の中山晋平胸像です。中山晋平は下高井郡日野村(現・中野市)新野の生まれです。中野生まれの有名人としては、高野辰之(下水内郡永田村 現・中野市), 久石譲も中野です。
リンゴ「秋映」のモニュメントです。 秋映は一本木に在住した故・小田切健男が品種改良したリンゴで、シナノスィート、シナノゴールドと並んで、信州三兄弟と賞されます。この碑の文字の揮毫は洋画家の桜田晴義です。実は小田切も桜田も私の小学校の同級生です。2人の小学校、中学校の同級生たちが寄付してこのモニュメントを作りました。私も少しだけ寄付しました。
先に紹介した中山晋平胸像を作成した菊池一雄閣のブロンズの裸婦像です。左から、「愛」「果神」「華」です。「華」は先の2体に比べ小振りです。「果神」は手にリンゴを持っています。菊池一雄は京都市生まれの高名な彫刻家です。一雄は京都画壇で活躍した日本画家、菊池啓月の長男です。菊池啓月は中野町に生まれました。